■2005.07.28 福島県:舞子浜 (その5)




■ 広野




そんな訳でまだまだ続く、海沿いの道。窓を開けると潮風が心地よい。




見よ……♪ 見渡す限り、一片の雲もない超快晴の海浜道路。

交通量も少なく、あたり一面はセミの声と波の音だけがこだまする。ここでクルマで下手なBGMなんてかけるのは無粋というものだろう。カーステレオなど切って、ぜひ窓全開で潮の音を聞きながら走りたい風景だ。




さてそうはいっても日帰りドライブなので、どこかで引き返す踏ん切りをつけなければならない。

そう思ってロードマップを見ると、広野海浜公園という名前が目に入った。新舞子海浜公園から20kmほど北上したところにもうひとつ海浜公園があるらしい。新舞子より強調して赤字で書いてあるあたり、ちょっと期待してもよさそうだ。広野には火力発電所もあるので、ランドマークとしてはちょうどよさそうだ。




ということで北上をつづけ、火力発電所の巨大な煙突は目立つのですぐに見つかった。

しかし肝心の海浜公園が見当たらず、周辺を行ったり来たりして 「どこだっけ・・・」 と思案を練ることになった。実は筆者はこのときカーナビを装着していなかったので紙の地図ベースで地理を把握しており、それもあまり細かくないシロモノだったので迷ってしまったのである。




海浜公園というくらいだから海辺にあるのかも・・・と海岸まで出てみたが、やはり見つからない。




こういうところに乗り入れるとルパン三世のエンディングもどきをやってみたい気もするけれど、シャーシが錆びると困るので思いとどまる(笑)




仕方がない、もういちど発電所付近を探ってみようか・・・




そうこうしている間に発電所の北側に、二ツ沼総合公園というのを見つけた。

ここかな?と思って入ってみたけれど、ミニゴルフのコースが並んでいるだけで海浜公園という感じではない。そこで職員の人をつかまえて聞いてみると、「ああ海浜公園は発電所のすぐ南隣ですよ」 と教えてくれた。




これをどうぞ、と頂いた二ツ沼総合公園のパンフレットの裏面には、海浜公園の記述がちゃんと書いてあった。

太平洋にせりだしている海浜公園は広野火力発電所の温排水を利用した釣り場で、クロダイ、スズキ、アイナメなどが集まり、海釣りを楽しむ釣り人でにぎわっています

……な~んだ、海上を埋め立てて作った総合公園なのか。これじゃわかりにくくても当然だ。とりあえず発電所をぐるりと回り込めばよいらしいので、今度こそはと確信をもって公園入り口を目指すことにしよう。




……が、その入り口はえらく貧相なのであった( ̄▽ ̄;)

なんですかこの投げやりな門のつくりは。 ……たしかに広野海浜公園とは書いてあるが。




その先は、ハイキングコースのような小道がつづく。




おお、海が見えた。海浜公園はこの先かな。

・・・ん?




・・・ちょっとまて( ̄▽ ̄)

海浜公園て、どこにあったの?




……と、自己ツッコミをしながら振り返ってみる。

もしかしてこの草ぼーぼーの空き地が、海浜公園の実態ですか?(^^;)




しかしどうやら、周囲にはこれ以上の土地の広がりはないのでここが公園という結論にならざるを得ない。結局のところ、釣り場として開放されている発電所の埠頭が主役で、ここはそこに至る通路でしたということのようだ。

……まあ、この見晴らしが得られたことで満足するべきなんだろうな(^^;)




ついでに発電所の施設を至近距離で撮影。何の役に立つのかわからないアングルだけど、まあこれも記録のうちと思うことにしよう。


■帰路




帰路は、もう若干時間の余裕があったので常磐ハワイアンセンターで一風呂浴びて一服。これはこれで楽しいひとときであった。

<完>



 

■ あとがき


えー、あとがきです。このドライブ紀行は2005年の7月のものですが、あとがきは2017年の8月に追記しています。時間差が12年もあるなんてちょっと感慨深いです。

さて当時は単なる夏のツーリングとしてあまり深いことを考えずに写真を撮ったのですが、その後に起こった東日本大震災で、このとき見た風景の多くは破壊されてしまいました。最大30mを越える津波がおしよせて海浜集落は壊滅、海岸線の地形も変わり、かつては誰でも降りることのできた浜辺には進入禁止のエリアが多数設けられることとなりました。レポートの最後で触れた海浜公園も、原発事故をうけて避難区域の最前線となり、閉鎖されてしまいました。




震災から6年が経過し、今では相当復興が進んできてはいるものの、海岸線は護岸堤防で万里の長城のように固められ様相は一変しています。国土強靭化計画なるものが一通り形になったのち、どのような風景が現出するのか筆者にはなかなか予想ができませんが、おそらくは東京圏の護岸に似た要塞じみたものができあがるのでしょう。

かつて何気なく撮った写真の風景は、もう戻らないかもしれない。

・・・それを思うとき、たとえどんなにつまらなそうな写真でも、ちゃんと記録として残しておくべきなのだと思わずにはいられません。

<おしまい>