■2005.09.14 名古屋城を見る (その3)
■ 天守に入ってみる
さて外観で感心してばかりだと時間がなくなってしまうので、中に入ってみよう。
名古屋城の天守閣は大小のツイン構造になっていて、入り口は小天守側にある。写真は少天守と大天守をつなぐ通路部分である。実際の戦闘でここまで攻め込まれたらもう落城寸前であり、最後の踏ん張り所として本丸には直接上がれないようになっているらしい。
ここから大天守を見上げると、非常に格好いい。新築時には白漆喰+黄金色に輝く銅板屋根というカラーリングで、さぞやゴージャスに見えたことだろう。
大天守に入ると、 大/小天守の構造の解説があった。
大天守側は外から見ると一見五層に見えるが、実際には7層ある。石垣内部の地下構造(地下といっても壁が石垣になっているだけで実質地上1階みたいなものだが)も含めると8階建て相当になり、400年前に "木造建築" でよく造ったものだと感心してしまう。
大天守側に入ると鯱のレプリカが飾ってあった。まるでシーラカンスみたいな造りのように見えるけれども、もとは寺院の屋根の装飾のひとつで、信長が安土城の屋根に載せたことで流行し始めたらしい。原型は鴟尾(しび)という装飾瓦で、これがのちに想像上の魚:鯱(しゃち)のデザインに置き換わった。火災がおきたときに水を吐いて消火するといわれており、火伏せ信仰と集合しているようである。
地下からはエレベータで一気に最上階に上ってみた。
ふつう天守閣の最上階は狭いものなのだけれど、名古屋城はこれが実に広い。最上階でこれだけ重量のある構造物を載せられるということは、相当にしっかりとした設計で下部構造がつくられているのだろう。
※名古屋城を造ったのは徳川家康ではありません、大工さんです(笑)、とコメントしてあげたくなるいい仕事だと筆者は思ってみた。
その 天守最上階から、名古屋市内を見渡してみる。
向こうに見えるのは東海道新幹線だ。・・・高いねぇヽ(´ー`)ノ
この天守の高さは55mほどある。ざっと15~18階建てのビルに相当するそうで、遠方に見える現代の高層建築ともなかなかいい勝負をしている。江戸時代の街並みはほとんどが平屋であろうから、当時はもっと爽快な眺めで遠くまでが見えたことだろう。
西日が陰ってきたな、と思ったら急速に雲が湧き上がってきたところだった。
かつてこの城に住んだ尾張徳川家の殿様は、どんな気分でここから領地を見下ろしたのだろう。徳川御三家の中でも筆頭格で、しかしながら一度も将軍を輩出しないまま明治維新を迎えたのが尾張徳川家だった。維新後は侯爵の家柄となり、しかしやはりこれといって業績を残さないまま大東亜戦争の敗戦で爵位を消失して平民となった。
そんな殿様の家系と同じ高さで濃尾平野を見渡す気分というのは、不思議なものだ。
・・・と、マターリしていたところに、いきなり 「追い出しのテーマ」 が館内に流れはじめた。おいおい、まだ展示物をろくに見ていないよー!
しかしそんな客の都合などおかまいなしに、間髪いれず警備員に 「はい、おわりでーす」 と追いやられてしまった。「尾張じゃなくて三河だろ」 とささやさな抵抗をしてみたかったが、冗談の通じるような風でもなかったので清く諦めることにした。良く考えたら徳川は三河出身だがここは尾張だしなぁ(^^;)
■ さらば名古屋城
勤労精神旺盛な警備員にそそくさと追い出されて、大小天守閣を振り返ってみた。
うーむ・・・やはり、来るなら時間に余裕をもって来るべきだったかな。実質滞在時間が1時間だとなかなか深く掘り下げた見学というのは出来にくい。・・・特に、歴史系のスポットは(^^;)
とはいえ、せっかくのチャンスを僅かながらでも活用できたのは、まあ良かったと思いたい。これもまた、一期一会の出会いなのだ。
そうこうしている間に、急速に黒雲が広がりだした。うわー警備員だけではなく天候にも追い出されるのかーw
そしていきなり土砂降りの雨。さすがにたまらずタクシーで撤退した。
なんだか最後が情けなかったので、味噌カツで気分を盛り上げてみた。・・・今回入ったお店では健康に悪そうなほどたっぷりと味噌ダレがかかっていたのだが、まあ何事も経験よ!(笑)
<おしまい>
■ おまけ
さてこれは駅で売っていた地球博のお菓子である。とりあえず話題らしいので買ってきたものだ。さあ、中にいるのはモリゾーかな、キッコロかな?
・・・あんた誰?
裏返すと、そこには反転した謎の生物が! ・・・うーむ、金太郎飴製法だったのか。
気分をとりなおして、桑名名物 「はまぐりサブレー」 も味わってみよう。
・・・はまぐりというより、まるでウン・・・ごほん、ごほん_| ̄|○
<完>