2006.07.15 西那須野:大山元帥墓所
クルマ屋に行ったついでに大山公園付近をふらふらして参りましたヽ(´ー`)ノ
大山公園とはJR西那須野駅東口にある大山元帥墓所のうち、R400以南の参道部分を公園化したものである。といっても 「大山元帥って誰?」 という方もいるかもしれないので簡単に解説しておこう。
大山巌(おおやま・いわお)元帥は薩摩藩士出身の軍人で、日本陸軍創設者でありかつ初代陸軍大臣である。幕末は薩英戦争、戊辰戦争で活躍し、維新後はヨーロッパを視察して軍事を学んだ。日清戦争では旅順攻略戦で第二軍を指揮、日露戦争では満州方面軍総司令官を務め、元老にまで上りつめたのち、大正5年に没した。葬儀は国葬として執り行われている。明治期の国運を賭けた戦争を指揮、勝利したことにより国民的人気は非常に高かったという。
その墓所は元帥所有の開拓農場のあった西那須野に造営された。長さ300mにも及ぶ参道があり、近代の個人墓所としては異例の規模(ちょっとした古墳並み)をもつ。なお参道入り口には戦没者慰霊碑が併設されている。
※写真はWikipediaのフリー素材より引用
■JR西那須野駅~戦没者慰霊塔
さてまずは墓所に村う起点となるJR西那須野駅を目指してみる。現在の駅前市街地は旧・三島農場側=西口をメインに広がっており、墓所に近い東口(写真)側は静かなたたずまいとなっている。かつてはこちら側には東野鉄道の駅舎があってそれなりに賑わっていたのだが、現在では鉄道は廃止され、バス停と駐車場が整備されている。
駅から南東側に進むと、参道を横切る形で道路が整備されている。クルマで走っているとこの参道に気付かないかもしれないが、実は結構規模は大きい。
参道の入り口付近には太平洋戦争の戦没者慰霊碑が立っている。これは戦後の建立である。明治の元勲と太平洋戦争では年代が離れすぎているように思えるかもしれないが、真珠湾攻撃は大山元帥死去から25年後で、それほほど年代が離れているわけではない。本稿を書いている現代(=2006年)に置き換えてみれば、墓所造営は1981年を振り返るくらいの年代感覚となる。
これがその慰霊碑である。建立は昭和39年8月15日。やはり英霊を祀るには終戦記念日でなければならなかったらしい。
碑には、地元から出征して帰らなかった英霊の名が刻んである。「英霊の永遠に安らけく鎮まりますことを祈念し…」 とあり、「祖国の安泰と平和に加護あらんことを」 の文字もみえる。当時の人々の素直な心持ちだろう。
これが左翼マスコミにかかると、単に祈りをささげるだけの行為が許しがたい右翼活動か何かのような扱いになってしまうのだから困ったものだ。そういえば今年もそろそろ、そんな季節だな。
■参道
さてここが参道部分である。長さはなんと300mもある。造成時は紅葉(もみじ)と桜が交互に植えられていたそうだが、桜は後に枯れてしまって、いまでは紅葉だけが残っている。
秋になれば、これが真っ赤に色づいて紅葉の名所にもなる。 静かでよい公園だ。
参道は現在ではR400(※)によって分断されている。墓所に近いほうは今でも大山家のものだが南側は西那須野町(昭和30年当時)に寄贈され、大山公園となった。↑の写真で工事中なのは墓所側参道である。どうやら駐車場の造成をしているらしい。
※追記:2012年現在、R400は西幸町側に作られた新バイパスの方に名称が移動している
R400に面した灯篭には西那須野村とある。ここに町制が施行されたのは1932年(昭和7年)なので、これは墓所造成にちかい年代(というか創建当時?)につくられたもののようだ。これはこれで貴重な歴史遺産だな。
■墓所
ヒノキの並ぶ参道を進むと、やがて墓所が見えてくる。
鳥居が建っているということは、神社の社格があるということだろうか。残念ながら門は閉まっていて入ることはできなかった。
…が、そのまま帰ったのではもったいないので、扉の隙間から中を覗いてみた。
大山元帥の墓石は、軍人の墓らしく砲弾の形をしている。こういう形式はあまり他では見たことがなので、全国的にも珍しいタイプではないだろうか。このアングルでは見えないが、横に婦人の墓もやはり砲弾型墓石で並んでいる。
もう少し散策してみたかったけれど、ここで夕立が降りだしてしまったので撤退。日露戦争については乃木将軍というもう一人のヒーローも地元と縁が深いので、そのうち何か取り上げてみたいところだ。
<完>
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