2006.11.26 韓国:水原(その3)
■華城行宮
そのまま八達門まで歩こうかと思ったが、あまりに寒風が強烈なのでやはり連結バスに乗って元にもどることにした。ところで↑このバックスバニーの壁抜けみたいな銅像が、この街を作った王様(正祖)らしい。
さてせっかくなので外壁だけではなく宮殿(華城行宮)のほうも見ておこう。
ちなみにこの人魂が2つグルグル絡まっているような図が "太極図" で、陰陽思想による世界の縮図ということになるらしい。
陰と陽を両義とよび、ここから四象を生じ、さらに八卦を生じる。相撲の掛け声の 「八卦良い良い」 はここから来ているそうで、卜占の 「当たるも八卦、当たらぬも八卦」 もこれが元ネタである。
さて門をくぐって中に入ると・・・ なぜここにチャングムが!
・・・と思いきや、ここは韓国ドラマ 「チャングムの誓い」 の舞台になったところで、撮影もここで行なわれたそうなのである(いやー全然知りませんでした)。
チャングムは貧しい身分出身の娘が宮廷で料理人として出世していく話で、筆者はタイトルくらいしか知らないのだが韓国では大ヒットして日本でも放送された。もちろんドラマの内容は架空の話で、脚本家氏のインタビューによるとモトネタは日本の将太の寿司(少年マガジン)から取ったらしい。どちらかというとミスター味っ子だと思っていたのだが……うーん、そうなのか(^^;)
宮殿の中は広い。しかし建物はすべて平屋で、天守閣のような構造はない。日本に併合される前の朝鮮には、宗主国である中国への遠慮から2階建ての建物は基本的に存在しないのである。たとえ王宮であってさえも。
遠慮と言えば、気のせいかも知れないが朱塗りの朱の色合いが筆者は気になっていた。建物に使われる朱には、水銀系の丹(に)と、鉄系の弁柄(べんがら)がある。
丹は赤色が鮮やかだが高価で希少、弁柄は色味はややくすんだ赤色だが安価という特徴がある。日本の神社では格が高い神社は丹塗り、地方の神社は弁柄が使われる傾向があった(最近は合成塗料で代替されることも多いので曖昧になってきている)。
・・・で、この華城行宮の壁の赤色は、弁柄の色彩に近いのである。韓国のことだから合成塗料なんじゃないの、とか疑いだすとキリがないのだけど(笑)、この色合いは水銀系の丹ではない。もし中国皇帝様に遠慮して弁柄を使ったのだとすれば、朝鮮王朝の忠誠心は筋金入りといえるのではないだろうか。
さてそんな華夷秩序について考察しながら歩いていくと、ややこんなところにもチャングム像があるではないか。 ……というか、ここは撮影セットなのか文化財なのか、だんだん分からなくなってくるな。
中門を過ぎて奥に進んでいくと、いかにも立派そうな建物がある。どうやらここが正殿になるらしい。周りよりもちょっと段が高くなっているが、やはり平屋建てである。
正殿内では、役人が王に挨拶をしている様子が人形で表現されていた。面白いことに、部屋の中、かつ王様の御前でも帽子は取らないらしい。日本の烏帽子と似たようなもので、基本的に装着したまま…ということなのかな。
これが王様らしい。被り物がちょっと独特の形をしている。横に座っているのがいわゆる宮廷女官だろうか。長い髪を編んでぐるりと頭を囲むのが正装のようだ。
これが執務室。畳ではなく板敷きで、床はオンドルで暖房できるようになっている。背後の壁画に見える赤と白の丸印は太陽と月で、陰陽、太極の象徴ということになるらしい。どこまで行ってもこの国の意匠は陰陽がモチーフであるのだな。
後ろにまわってみるとオンドルの煙突が立っていた。なるほど、こういう構造なのか・・・
ところで朝鮮の建物が平屋ばかりなのは、このオンドル構造によるものだという説がある。朝鮮の冬は日本より寒いので、火鉢程度では過ごすことができず、床暖房(オンドル)が必須であった。オンドルは火を炊いた煙を床下の石組みに通して熱を床に伝える。この石組みが重いので、二階建て以上の建物は作れなかったというのである。
筆者的には1階が暖房できればその熱は2階以上にも伝播していくのでは・・・と思わなくもないけれど、中国皇帝様に土下座していました説よりは恰好がつくので、まあそういう説明でもいいんじゃないのということにしておきたい。
もうすこし歩いてみる。敷地の南西の一角が、宮廷女官たちの詰め所だったようで、奥のほうに2次元女官像が立っている。もちろんチャングムの料理大会がここで撮影されました、という展示である。
さらに進むと、おおここにもチャングムの解説が!(笑)
…それにしても、果たしてこれでいいのかなぁ。こんなに 「架空のドラマ」 を全面に押し出して歴史と結びつけてしまうというのは、世界遺産の在りようとして正しい姿勢なんだろうか。こういうところが、韓国の 「歴史」 の危なっかしいところなのだ。
さらに、チャングムの歴代衣装が展示してあるコーナー。これはドラマの最終局面、偉くなったチャングムがぐるぐるヘアーの高級女官に出世した姿らしい。…なんだか、歴史遺産なのか撮影セットなのか番組宣伝なのか、よくわからなくなってきた( ̄▽ ̄)
結局のところ、学術的な正確さよりもミーハー的にウケる要素のほうが重要視されていそうだということは分かったけれど、そのうちこれを 「日本の歴史教科書に載せろ」 とか言い出すんじゃねーぞ、お前ら!
そうこうしているうちに、日が暮れて暗くなってきた。このあたりが行動限界だろうと判断して撤退。
うーん、もうすこし歴史的考察の整理された展示を見たかった気もするけれど、まあ贅沢は言うまい。 ここは韓国なのだ。
■その後
その後はまたお仕事の日々。すっかりクリスマスの雰囲気で盛り上がる夜景くらしか撮るものがない。・・・おかしいな、来たときは紅葉の季節だったのに(笑)
結局、花鳥風月っぽいことが出来たのは1日だけだったなぁ……、と思いつつ12/09に帰国。とりあえず生きて帰れたことを喜ぼう。 え? 仕事はどうなった? ……いいんだよ、そういうことは! 気にするなケンチャナヨ!
<完>