2007.05.26 三斗小屋(余談)




■三斗小屋宿の悲劇について


戊辰戦争に関しては、三斗小屋はそもそも会津軍の駐屯する村落であり、最初から会津藩に味方する以外の選択肢はなかったといえる。下野~会津の国境線での戦闘は、大田原、塩原、関谷、板室、三斗小屋などすべて焦土戦で 「敵の陣地に使われるくらいなら焼き払ってしまえ」 という方針が徹底していた。

三斗小屋も例外ではなく、宿場本体、また山上の温泉宿も新政府軍の別働隊に襲われて全焼してしまう。……が、それだけでは済まなかったのが三斗小屋なのである。作家の立松和平氏の調査によると、戦闘後に村人は "賊軍" に協力した罪を問われ、捕まって一斉射撃練習の的にされた者や、生きたまま皮を剥がされ肉を削がれ、さらに串焼きにした自分の肉を食わされて絶命した者などがいたらしい。

まあこの種の話はいわゆるひとつの "南京大虐殺" のように後からとってつけたように尾ひれがついて大袈裟になっていくこともあるし、実際に一次資料を見たわけでもないのでどこまで信憑性がある話かはわからない。さきの射撃の的にされたというのは大黒屋の従業員、撃ったほうは新政府軍に付いた黒羽藩の武士団だったとも言われるが、当事者同士の距離が近いだけにあまり昔のことは蒸し返さないほうが無難なような気もする。

ちなみに攻め落とされた側の会津では鶴ヶ城や白虎隊自刃跡など戊辰戦争戦跡が観光名所となっているが、勝った側に付いた大田原、黒羽では観光案内に戊辰戦争絡みの記述が前面に出てくることはあまりない。それなりに気を使っているのかな……と思ってみたりもする。

<余談おわり>