2007.12.31 東京:御台場




お台場の砲台跡を見て参りました ヽ(´ー`)ノ


今年はおしまい宣言をしたものの、大晦日に所用があって東京まで行って来たのでもうひとつネタを書いてみたい。東京湾のお台場である。




お台場というと最近ではレインボーブリッジとフジテレビ…というイメージで捕らえられることが多いかもしれない。しかし "お台場" の呼び名は幕末に外国艦隊から江戸を防衛するために作られた砲台から来たものだ。現在は埋立地に囲まれてしまっているけれどもかつては独立した浮島のような立地であった。

現在砲台跡地としての体裁を保っているのは第三砲台と第六砲台で、一般人が到達できるのは第三砲台に限られる。



 

■ お台場:第三砲台


さてお台場に到達するには新木場方面、芝浦方面からのルートがあるが、いずれにしてもほぼ唯一の陸上交通機関は "ゆりかもめ" になる。地名としての広義のお台場は13号埋立地北側の商業施設群の一帯を指しており、わずか1km四方のエリアに駅が5つもある。筆者は何も考えずに "お台場駅" で降りてしまったのだが、MAPをみると隣の "お台場海浜公園駅" で降りたほうがよかったようだ。



おお海浜公園から第三砲台がみえる。向こう側はレインボーブリッジだ。距離にして500mくらいか……思っていたよりずいぶん近いな。

公園として整備される以前の13号埋立地はゴミ廃棄場に土をかぶせただけの茫漠たる原野のような風景で、よく特撮TV番組(仮面ライダーなど)の撮影地として使用されていたらしい。




江戸が騒然となったのは嘉永6年(1853年)、ペリー提督率いる4隻のアメリカ艦隊が来航したときのことである。浦賀から江戸湾内にやすやすと外国艦隊の進入を許したことに対する反省から、幕府は急遽突貫工事で江戸防衛のための砲台を建設した。砲台は一偏が100~170mほどの四角形または五角形の砦で、水深5~10mほどの海を埋め立て、さらに海上10mほどまで石垣と土手を積み上げてある。

※水上に出ている部分だけ見ると 「ふーん」 で終わってしまいそうだけれども、柔らかい砂泥の海底に石垣を組み上げて盛土するというのは実は結構大変な技術のような気がする。




海浜公園には一応案内図はあるのだけれど、残念ながらお台場の由緒についての記述はみられなかった。新興の商業地区だけに歴史成分の需要は少ないらしい。




さて公園管理人氏が怠慢なところは、筆者がいくらか補うことにしよう(笑)。幕末の海岸線と砲台位置を現代の地図に重ねると↑このようになる。ペリー艦隊の大砲の射程はおよそ2kmだったそうで、台場の敷設位置は江戸城を直接砲撃させない距離感で要塞線を構成するものだった。

当初砲台は全部で12基が計画されており、完成すれば現在の豊洲あたりまで並んだはずであった。しかし幕府の財政難、および艦隊の2度目の来航(1854)で日米和親条約が成立したことで工事は中断され、実際に形を成したのは7基までで終わった。

幕府はここに計100門ほどの大砲を配置したという。ただし長距離砲はそのうち2割程度しかなく、大半はペリー艦隊より射程の短いものだったそうだ。そうやって精一杯背伸びをして耐えた経験が、のちに明治新政府の富国強兵のスローガンへとつながっている。

※砲台配置をみると地図の右側がガラ空きのように見えるが、この付近は水深が浅く喫水の深い大型軍艦は入りにくかった水域である。そのため艦船の航路に適する現在の品川沖~東京港付近が優先的に防衛されたらしい。



 

■ そして今どきのお台場は…




さてその後は時代とともに大砲の射程距離は伸び、海岸の埋め立ても進んだのでお台場の砲台は実質的な意味を失っていった。日清戦争(明治27年)の頃には艦砲の射程距離は8~10kmに伸びており、東京の防衛は 「そもそも東京湾に敵艦を入れない」 ことにシフトして横須賀~富津岬付近、さらに館山付近にも新たな砲台群が築かれた。 これらの遺構は現在でもみることができる。




時代は下って21世紀……幕末のお台場は埋立地に囲まれ、レインボーブリッジや自由の女神像まで建って、これだけ見ると 「ここはいったいどこだよ!」 的な風景となっている。ちなみに女神像は "日本におけるフランス年" を記念して本家フランスのレプリカを設置したものらしい。(ニューヨーク湾に建っているのも実はレプリカ)

付近には東南アジア系の観光客が大勢いて、皆この風景の写真を撮っていた。といっても砲台がお目当てなのではなく、自由の女神とレインボーブリッジの組み合わせのほうに視点が行っている。まあそういう時代なのだろう。




ただアングルを変えると自由の女神像はフジテレビ社屋にむかってまるで 「ハイル、ヒトラー!」 とでも敬礼でもしているかのごとき位置関係なのが何とも微妙だった。

聞けば像の設置費用を負担したのがフジテレビなのだそうで、要するにスポンサー様の都合でこういう状況になっているらしい。もうブイブイ言わせている感が半端ないというか、どれだけ勢いがあるのやら。




さて大晦日でもあり、あまり長居もできないので日没を待たずに早々に引き上げた。あと1時間ほど余裕があればあそこに渡ったのだけれど、初詣の二年参りのためにはもう戻らねばならない。

ゆりかもめで新橋方面に向かうと、レインボーブリッジ上から台場内部を見下ろすことができる。石垣上部には現在でも砲台(レプリカ)が設置されている。機会があればゆっくりと散策してみたいものだな。




橋を越えて芝浦埠頭側から振り返ると、第6砲台がよくみえた。ここは現在は立ち入り禁止だそうで、草木の茂るままに放置され野鳥天国と化している。周囲の近代都市景観のなかで、ここだけは時間が止まっているように思えた。

…東京にもまだこんな "秘境" が残っている。不思議といえば不思議な風景なのであった。

<完>




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