2008.04.06 金精峠に道鏡の巨根伝説を追う:番外編




■孝謙天皇と万葉集


万葉集の成立は760年頃(→最終の歌が759年の正月)と推定されるが、孝謙天皇の歌は収録された4500首あまりのうちのほぼ最終年代である。歌集を編纂した大伴家持は、まだ20年以上も余命を残しながら孝謙天皇より後の歌を収録することはなかった。家持は橘奈良麻呂の変で藤原仲麻呂暗殺計画に関与して左遷され、宇佐八幡宮神託事件当時は大宰府にいる。神託事件への関与の度合いは不明である。晩年には藤原種継(桓武天皇の影のフィクサー)の暗殺にも関与しており、どうやら思想的には "反・藤原派" だったようだ。道鏡の失脚後、藤原永手/百川らが実権を握ったのちは 「意地でもこいつらの歌なんて残すものか」 と思っていたかもしれず、歌集ひとつにしても視点を変えると面白いものがみえてきそうだ。


<おわり>