2008.05.18 金精峠に道鏡の巨根伝説を追う:下野編1 (その1)
いよいよ下野国編ですヽ(´ー`)ノ
さてしばらく間が開いてしまったが、今回は本来なら奈良に取材に行く前に片付けておきたかった案件…下野国=栃木県に現存する金精神の実例を収集してみたい。
金精信仰は現代に至るまで脈々と続いている生きた信仰である。ただし明治維新のときの神仏分離や一村一社令による神社(特に小社)の整理統合の中で、それまで道端や神社の一角に祀られていたものの多くが "淫祠" として廃止されてしまった。現在では個人宅の敷地内や、山間部で明治政府の政策が及ばなかった末端の祠、および温泉地などに祀られていることが多い。今回たどったルートは栃木県北部の山間地が主である。
■田代
さてまずは那須町の田代にある道祖神からはじめてみよう。平地で見られる数少ない事例で、場所は那須街道沿い田代小学校から少し東に入ったところである。…が、厳密にこれを道祖神といってよいかについては多少のツッコミどころがある。
というのもSLランドの施設内の一角に作られた開運なんたらとかいうコーナー内に鎮座しており、多分に観光客向けの見世物として作られた感があるためだ。
もともとこの一角は那須街道からりんどう湖~池田方面に向かう街道の分かれ目にあたり、古くから馬頭観音などが祀られてきたようである。そこにレストラン(蒸気機関車)、およびその併設館としてSLランドが作られ、これらの石仏も敷地内に取り込まれてしまったらしい。
なにやら妙な骨董趣味?の発露なのか、SLランドと銘打っている割にこんな展示が並び・・・
その中に、金精神が祀られている。
こんな冗談のような扱いを受けながらも、ちゃんと賽銭を置いていく人がいるのが不思議といえば不思議である。
…まあ、ここについては深く考察することもなさそうなので、次に行ってみよう。
■百村
那須街道から脇道にそれて板室を経由して南下していくと、百村に到達する。
道端には野生の猿がうろちょろしていたりして、実に山間部的な情緒?を醸し出していてよろしい。
百村の旧集落ではなく板室温泉にほどちかい位置に、奈良編の冒頭で紹介した幸の湯温泉がある。ここの金精神(道祖神)は立派なので改めてここで紹介しておこう。
明るいときに見る金精神様は実に霊験あらたか?な風体であるw
ここの御神体は金精神としては比較的新しく、昭和の終わり頃の建立である。位置的には百村から板室/三斗小屋方面に分岐する古街道の三叉部分にあたり、道祖神が建立されてもおかしくない。…が、先代の道祖神が実際にあったかどうかはよくわからない。
ところで温泉に金精神が祀られるのには実はそれなりの理由がある。神道の基本思想として陰陽思想というのがあるのだが、そこでは温泉は女陰に相当する陰の象徴とされている。宇宙の根源=太極において陰陽は常に一対であるから、ここに陽の象徴である男根=金精神を祀ることで、いつまでも湯が枯れずに湧き続けることを祈願するという意味があるらしい。
温泉によってはこれが天狗の鼻(しばしば男根の象徴として描かれる)で代用されていたりするのだけれど、背後に流れる基本思想は同じといえるだろう。天狗は道祖神の性格をもつ猿田彦(後述)にも通じるのでこちら側からもつながりがある。興味本位で "珍スポット" 的に扱われがちなこれら金精神にも、背景にはそれなりの思想や文化の蓄積があったりするのである。
■福渡
次に目指したのは塩原温泉郷を構成する11の温泉のひとつ、福渡温泉である。R400に乗って関谷から塩原渓谷をさかのぼっていくと、ちょうどツツジが見ごろを迎えていた。
福渡(ふくわた)は、かつて難所と言われた左靫(ひだりうつぼ)の上流に開けた、ささやかな平地に展開する温泉地である。下流側から見ると峻険な断崖絶壁の連続を上り切った先に現れる "ようやく一息つける場所" であり、ゆえに福渡と称したという。
さてここには塩原渓谷歩道が通っており、川沿いを散策することができる。この付近は川の流れも比較的ゆったりしていてフライフィッシングに向いていたりするのだが、岩乃湯と称する野趣溢れる露天風呂があることでも有名だ。
これが渓谷歩道からみた岩乃湯である。衝立(ついたて)は申し訳程度に脱衣所の部分だけにあり、岩をくりぬいた湯船は対岸からは丸見えだ。しかし皆平気で入浴しているし、周囲の観光客もべつに気に止めてはいない。ちなみにここは混浴で取材時には女性も入浴していた。…さすがに湯船のアップは掲載しないでおこう(^^;)
男湯/女湯の明確に分かれた近代然としたホテルや旅館に泊まっていると実感が湧きにくいかもしれないけれども、日本古来の温泉の姿というのは本来はこんな感じで、男女の区別もなかったし、きわめて大らかなものだった。混浴といっても雰囲気としては家族単位での入浴で、戦前の温泉の写真などをみると子連れで入浴している夫婦の姿をよくみかける。金精神も元はといえばそのような感覚の中で受け入れられていた神様であった。
それを明治政府が "淫祠" として潰して回ったのは、多分に外国人の目を意識してのことであった。欧米の技術や習慣などを輸入して近代化を進め国家として精一杯の背伸びをしている中で、キリスト教的な道徳観からは不思議に見えるであろうこれらの神様は、"外国人に見せたくない後進的な習俗のシンボル" の筆頭として槍玉に上がったらしい。
しかしここ塩原では明治政府の指令も不徹底だったようで、岩乃湯には古い時代の金精神が "子宝明神" として今も祀られている。
これがその子宝明神である。すっかり落ち葉に埋もれてしまっているが、男根は3基祀られているようだ。
かつては他の温泉にもたくさんあったであろう金精神は、いまではこうした古い露天風呂に併設された小規模なものを除いては随分少なくなってしまった。近代化された温泉街では、これらの痕跡が残っていたとしてもいわゆる秘法館(アダルト施設の類)に姿を変えたり、庭先の置石代わりになってしまったり…と、本来の信仰の対象からは外れた位置づけに置かれているものが多い。
その点、この岩乃湯はどこか特定の旅館の敷地に取り込まれることもなく、最低限の管理しかされていない河原の温泉であったがゆえに、古い金精神のあり方が残された貴重な事例といえるだろう。
お湯は滔々と湧きつづけている。実にいい湯加減なのだけれど、先があるので入浴はとりやめて先に進もう(^^;)
<つづく>