2008.06.07 湯西川温泉:平家大祭 (その2)







川での神事が終わると、九十九姫行列は赤間神宮を目指して歩き出す。ここで行列を正面から捉えたいと思って先行して移動開始。それにしても無茶苦茶込んでいるなぁ…




警備の人に守られながら、行列が動き出す。観光客を意識してか、割と自由に寄って撮影することを許しているようだ。




しかしキチンとしたアングルで撮ろうとするのはやはり難しい。人込みの中でとっさの判断でスナップするのは、やはりある種の才能が必要とされるかもしれない。

それはともかく、よくみると行列の構成は九十九姫…というよりも20姫+79婆くらいの割合で年配の方が…あー、ごほん、ごほん。



年配でもサマになるのは建礼門院德子(=安徳天皇の母)。こうしてみると結構な存在感がある。

安徳天皇は幼くして壇ノ浦で入水したため、平清盛の血は皇室には残らずに絶えた。しかし家系図的にいえば源氏も平氏も元は臣籍降下した皇族の一団であり、平清盛の家系は桓武天皇にまで遡る。その意味では現在の皇室にもつながっている家系である。そしてその子孫である湯西川の村落の面々もまた、桓武天皇の血を引く一族ということになる。山間の一集落とはいえ、そういう血統がまとまって残っているというのは実は貴重なことのように思える。




こちらの琵琶法師の方は、たまたま音大の卒業旅行でここ湯西川を訪れ、即興で琵琶を弾いてみせたところから当時の村長に惚れ込まれて湯西川に通うようになったらしい。以後は、湯西川の平家琵琶の顔のような存在になっている。人間、なにがきっかけで人生が変わるかわからないなぁ…。




さて周囲に人が多いので、なかなか良いアングルで写真を撮るのが難しくなってきた。こんなときは下手な鉄砲数撃ちゃ式にバシバシ撮りまくるのがセオリーである。フィルムでは(出費的に)とても怖くて出来ないけれど、デジカメならメモリーの許す限り撮りまくって後から出来の良いものをピックアップするという技が使える。究極のローテクともいえるけれど案外有効だ。



・・・で、写メール式に携帯で撮影している人も含めて、やはり一番人気はこの琵琶法師さん。やはり一番目立つ格好で琵琶を持っているというのがポイントとして大きい。



やがて平家の里の正門前に到着して、記念撮影。もちろんプロの写真屋さんが撮っていて、筆者を含めた野次馬は周囲の一段下がったところでもみくちゃになっている(笑)




ちょっとカメラを引くとこんなカンジである。腕章をしているのが公式取材のプロカメラマンらしい。我々平民の生存競争は微妙に激しく、要領を得ないとおっさんの後頭部の写真ばかり撮るハメになってしまうw こんなときは人より早く動き、一撃必殺式に短時間でシャッターを切りまくってスッと引く…というのを繰り返すのが周囲の恨みを買わずにポイントを稼ぐコツかも知れない。




さて記念撮影の後は赤間神宮に向かって進む。




ここで "九十九姫" は休憩。




しかし本当の神事はここからが本番である。平家が擁した幼帝、安徳天皇の御霊に祈りを捧げる儀式がここで行われるのである。




いまでこそ "赤間神宮" と呼ばれているが、この神社は明治維新で廃仏毀釈が行われる前は仏寺であった。名を阿弥陀寺という。勘の良い人はピンと来るかもしれないが、あの "耳無し芳一" の舞台となった寺である。

物語のなかで平家の亡霊が夜な夜な琵琶法師=芳一の元を訪れたのは、単に平家滅亡の物語を聞きたかったというだけではなく、一族の血を引く安徳天皇の菩提寺であるという由緒あってのことであった。子供向けの絵本やTVアニメではこのあたりの事情が省略されることも多く、改めて知ると 「なるほどそういう話か」 と合点がいく。

オリジナルの赤間神宮は長門国(山口県)にありここの赤間神宮は分祀されたものだが、800年経って平家の末裔がやはり当時と同じく幼帝の御霊に頭(こうべ)を垂れる…というのは、なんとも気の長い物語を見ているようで興味深い。



この後、舞台で本家伴久萬久旅館の女将さんから挨拶があり、神事の終了および九十九姫行列イベントの終了が宣言された。あとで調べたら、この女将さんが平家大祭の仕掛け人だったようだ。

地元では戦後まで自分達が平家であることを隠して地味に暮らしてきたらしい。そこに東京生まれのこの女将さんが嫁いできてこの土地の歴史を知り、これを看板に使わない手は無いと発想した。そして細腕一本で当時の村長とタッグを組み、村興しに奔走しはじめたらしい。村民の意識が変わるまで十数年かかったというが、今ではその平家ブランドが湯西川の最大のセールスポイントとなっている。

この御婦人を得たのは湯西川の集落にとって幸運だったといっていい。昭和の終わり頃…昔ながらの茅葺民家の消失時期と村おこしによる "平家の里" の整備時期はぎりぎりのタイミングだった。おかげで古い村落の形をわずか1haの面積とはいえ残すことができ、平家の血の入った安徳天皇を祀った赤間神宮の分祀も叶った。初夏の平家大祭、冬のかまくら祭、竹の宵まつりなど現在の湯西川温泉を彩るイベントが大々的に行われるようになったのはここ15~20年ほどのことだ。

そんな女将は、現在全国平家会会長を務めているらしい。なかなか充実したドラマチックな半生を送った方だなぁ。



その後は余興として舞の披露が行われた。これはどうやら白拍子らしい。創作舞踊のようで、伝統芸能というよりは純然たるショーとして行われているようだ。神前でもあることだし、個人的にはもう少し保守的な内容でもいいような気がするけれど、観光客の反応はまあ上々のようだ。




これで夜間に焚木能でもあったら最高なんだけどなぁ……



そして琵琶奏女による平家物語の弾き語り。語りは熱がこもっていてなかなか渋い。それなりに格式の高い旅館では不定期に弾き語りを行っているという。運がよければ聴けるひともいるだろう。




小用があったので最後まで見届けることなく引き上げてしまったのだが、山奥にも関わらずなかなか力のこもった祭りだというのがとりあえずの感想である。前夜祭も含めると3日半という長丁場でもあり、仕事の都合さえ許せば通して見てみたいところだ。




祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり…と歌われた平家物語。諸行無常とは仏教用語で "すべての物事は移り変わるもので、ひとつとして同じところには留まらない" という意味の例えである。

源平争乱の時代からはもう800年が経過した。現代にあっては、平家の血を引く里であることはなんら不名誉なことではなく、かえって雅(みやび)な気風を連想させ観光資源にもなっている。まさに時代は流転するものであって、その流れの中で平家の子孫たちの物語は今も続いているのである。

<完>




■おまけ




ウホっ、チャレンジャー発見…♪ とゆーか、本来の露天風呂とはこういうものなんだけどな…♪


<完>