2008.07.26 伊豆:初島 (その3)




■お初の松




一通りリゾートエリアを散策して、初島港付近の集落エリアに戻った。すっかり民宿と磯料理店、土産屋ばかりになってしまってはいるけれど、ここの集落そのものはとても古い。天の声は南国リゾートでそこそこ満足召されたようなので、ようやく神社仏閣etcを見てみることにしよう。




まず見ておきたいのは歌碑。初島の歴史を語る上でこの歌は外せない。

箱根路を
わが越えくれば 伊豆の海や
沖の小島に 波の寄る見ゆ

鎌倉幕府の三代将軍、源実朝の詠んだ歌(金槐和歌集)である。およそ800年前のもので、文献に登場する最古の初島の描写とされている。この歌の詠まれた頃は源平争乱が収束して十数年程度であり、朝廷もまだ西日本を中心に勢力を保っていた。武家政権としての鎌倉体制はいまだ不安定で、まだ国内が混沌としていた頃のことだ。

上方(京都)の勢力から鎌倉を守る自然の防壁=箱根の山々を越えて十国峠に達した実朝は、沖に見える初島をみてその風景を素直に詠んだ。おそらくは離島ゆえに源平争乱(目前の伊豆半島から源頼朝は挙兵した)にも巻き込まれることはなかったであろう初島は、実朝の目にはどう映ったのだろう。




さて歌碑よりも大きな存在感を示しているのは "お初の松" と呼ばれる曲がりくねった松の木である。どうやら島に伝わる伝説にちなんだものらしい。お初とは、島に住んでいたという娘の名である。



そのむかし島の人家が六軒しかなかった頃、17歳の娘お初は伊豆山(伊豆半島:熱海)の祭りで右近という若者と出会い好きになってしまう。百夜通ってくれば結婚するとの約束で、お初は毎晩盥(たらい)に乗って3里の海を渡って通ったが、九十九日目の夜、お初に恋をしていた別の男が邪魔をして灯台の火を消してしまったため、海を渡りきれずとうとう波に飲まれて死んでしまった。右近はお初の弔いのため諸国巡礼の旅に出かけ、灯を消した男は七日七晩苦しんで死んでしまったという。



昔話によくある 「百日通いの九十九日目」 パターンのひとつだが、死後に巡礼に出るくらいだったら四の五の言わずにさっさと祝言あげとけよこのヘタレ野郎っ的なツッコミは置いておいて、この伝説で語られる伊豆山との関係は初島のメンタリティを理解するうえでは実は割と重要と思われる。本土=熱海と初島の従属関係、および神話との類似性に面白いところがある。




■初木神社




タネを明かせば、お初伝説の元ネタとなったのはこの初木神社に関わる神話といわれている。神社の祭神は豊玉姫命、大津海見命、初木姫命の三柱で、ここでは神社の名の由来ともなった初木姫命が重要である。言い伝えによれば、神話は以下のような内容らしい。



第5代孝昭天皇の頃、日向国より東国巡撫(≒平定)のために船で旅に出た初木姫命は伊豆半島沖で遭難し、ただひとりこの島に漂着した。島には誰もおらず、何日も海岸を彷徨ったのちに火を焚いて合図を送ったところ、伊豆半島側の伊豆山から呼応して火が焚かれるのが見えた。伊豆山には伊豆山彦という男神がおり、初木姫の上げた合図に応じたのであった。

初木姫命はこれに勇気を得て、萩を組んで筏(いかだ)にし、草で織った帆を立てて海を渡り、小波戸崎(現在の伊豆山港)に上陸してついに伊豆山彦に会った。二人の出会った場所はのちに逢初橋(あいぞめばし)と呼ばれるようになった。
その後初木姫命は山中で日精、月精という男女二人の子供を見つけて養子とし、この二人が結ばれてその子孫が伊豆山権現となったという。
 


なんともスケールの大きな神話だが、地元ではこの渡海物語がのちのお初伝説のモチーフになったと言われている。(伊豆山彦と初木姫が結ばれたかどうかは…残念ながらわからない)

それにしても、孝昭天皇といえば古事記/日本書紀における欠史八代の頃であって、記紀神話の通りのタイムスケールであれば紀元前5世紀の縄文時代終期(!!)の頃である。さすがに記紀神話の年代をそのまま信じる訳にはいかないだろうけれど、このあたりは旅人の特権として無責任な想像の世界に遊んでみるのも面白いかもしれない。




ちなみに初島神社の創建時期は不明だが、神社としての記録は鎌倉時代まで遡り、さらにその社殿下には奈良時代よりも古い年代の磐倉跡(古神道の祭祀場)が発見されている。ざっと1300年以上、まったく同じ場所が信仰の場として継続して現代に至っている訳で、離島の小社といえども馬鹿にできない歴史の蓄積があるのである。

縄文遺跡に至っては年代は7000年前にまで遡り、きわめて閉鎖された共同体が続いてきたことから考えると、下手をすれば遺伝的に国内最古級の庶民家系の連続性を確認できるかもしれない(…さすがにそれは難しいか?)。




それはともかく、そんな伝説上の縁があって初木神社を含め島の古文書、家系図などの主要な古文書は本土側の伊豆山神社にまとめて奉納され管理されていた。しかし伊豆山神社はのちに火災に遭い、現在では島の古い記録は失われた状態にある。研究対象にすれば民俗学上とても面白そうな題材だけに、なんとももったいない話だ。




■竜神宮




初木神社のさらに奥側に、古社がひとつ存在する。




島の竜神宮である。案内板によれば、いわゆるひとつの大漁祈願の神様らしい。

ご神体は海から引き上げられた剣とあるので、夷信仰(海からやってきた聖なるものが福を呼ぶ)の一端が伺える。竜神としては、諏訪系の竜神信仰の系列と、南方の竜宮信仰の系列と、どちらが近いのだろう。




宮の入り口が開いていたので内部を見てみる。どうもここにはご神体はないようだ。後から分かったことだが、この竜神宮には奥宮があり、崖を上った上に本宮と思われる竜神塚があるのだという。根性をいれて登ってくれば良かったのだが、まあファミリーサービスのついでという身分では冒険心も抑制せざるをえないか…




もう少しまったりと散策してみたい気分はあったが、"飽きた" という天の声には逆らえずここで島を後にすることとした。

連絡船から見る遠ざかる初島は、靄も晴れてくっきりとした姿を水平線上に現していた。余裕があれば島に一泊というのもいいかも知れないな。もちろん、出来ることなら一人で……(笑)




■熱海より




さてこれはおまけ編である。

この日の宿=熱海の温泉旅館から海を見ると、新幹線の駅越しに初島の姿を望むことができた(→画面中央の黄色い看板の先)。源実朝が見た初島は十国峠からの眺望であり、ここからさらに4~5km離れたところだ。あそこの白波が見えるということは視力は3.0くらいはあったのかな?…いやつまらないツッコミはやめておこう。




ためしに200mmでアップにするとこんなカンジである。島の売店は閉店が早く午後5時には閉まってしまうそうで、島では恐ろしいほどに健康的な生活時間が流れている。観光開発が進んだ現代にあっても、半農半漁の頃の生活サイクルが受け継がれて早寝早起きで回っているということだろうか。




もう少し暗くなると、島の明かりが熱海からもはっきり見えるようになる。風俗店ばかりが目立つソープランド・シティから見る初島は、健康さと健全さにおいては別世界といえるだろうw



そんな夜景を見ながらの崖の上の露天風呂は実に風情があってよろしいのであった・・・♪

<完> …というか、富士山編につづくw