2009.03.27 雪の信越線:妙高高原編(その1)




前回の続きです~

■信越線を行く




直江津から長野に抜ける信越線は、地図上の路線図だけみるとほぼ一直線のように見えるが実は山間を結構な複雑さでくねくねとうねっている。市街地と呼べる規模の集落は直江津、高田(=かつての城下町)、新井あたりまでで、そこから内陸側は山間の僻地といった趣(おもむき)だ。ここは急勾配で妙高高原を越えるためにスイッチバック区間になっており、電化の進んだ現在でも二本木にはスイッチバックの引込み線が残っている。




さて直江津駅を出たのは午前8時過ぎ…積雪量は、まあ5cmくらいだろうか。




東京方面に抜けるのであれば特急はくたかで越後湯沢経由で行ったほうが合理的であり、わざわざ鈍行で単線区間を行くのは伊達と酔狂以外のなにものでもない。
…が、そこは文字通り伊達と酔狂そのものなので(笑)気にしないことにしよう。




さてそれでも列車にはいくらかの一般客(少なくとも旅行者には見えない)が乗り合わせ、生活の足としての鉄道が機能していることが見て取れた。首都圏の通勤電車と比べて特徴的なのは中吊り広告が少ないことで、御覧のとおりのシンプルな車内風景となっている。筆者的には毒々しいカラー広告が少ないほうが落ち着いてくつろげるので好ましいと思ってみた(笑)

車内の暖房は過剰なくらいにかかっており、内外の気温差が大きいため窓はすぐに結露で曇ってしまう。車窓写真を撮るには少々都合が悪いがまあこれは仕方がないか…




列車は定刻通りに出発した。車窓から眺める風景は、米どころらしく水田が続く。直江津は関川の河口に堆積した三角州に開けた町で、細長い三角州を遡っていくと高田の城下町があり、やがて一番奥まったところで新井に至る。その間およそ15kmほどで、それ以外の周囲はみな険しい山岳地である。




やがて高田を過ぎる。車窓からは "親鸞聖人御旧跡" などと書いてあるのが見える。直江津~高田は浄土真宗の開祖親鸞が流罪となって数年を過ごした地でもある。親鸞の身辺も掘り起こすといろいろ面白そうだが、話が長くなりそうなのでここではカットしよう。

…それにしても普段鉄道というと仕事で新幹線や特急ばかり使用しているためか、昼間に各駅停車で揺られるというのは実に趣深い。誰にも拘束されないゆるゆるとした時間感覚というのは本当に貴重なものだな。




もともと大した人数ではなかった乗客は、三角州の最奥地=新井でその多くが下車していった。このあたりまでが市街地らしい市街地のある地域で、その先は関川の渓谷沿いを上ることになる。




二本木のスイッチバックは 「おお、いったり来たりしているな…」 と思っているうちに通過。

ちょっともったいない気もしたけれど、実は後から調べてスイッチバックだったことが分かったものだ。事前のリサーチが不十分だとこんなことがよくある。




それはともかく、二本木以降の山間部に入ると雪も随分深くなってきた。ぼたり、ぼたりと振ってきては着雪していく、重い、どっしりとした雪だ。勾配がきついせいか、ときどき列車のモーターがごぉぉぉん…と回転をあげている。

この急傾斜の山岳部(二本木~関山)に鉄道が開通したのは明治19年のことであった。新潟~直江津~長野~高崎を結ぶ遠大なる信越線が一本に繋がって全線開通となるにはさらに数年を要し、工事が完遂したのは明治も26年になってからである。関東と北陸を最短距離で結ぶには現在の上越線のルートで鉄道を通せば良いのだが、それでは谷川岳を貫通するトンネルが長くなりすぎ、煙を吐く蒸気機関車で通り抜けることは不可能である。それゆえに、アプト式やらスイッチバックやらの仕掛けを使いながら、なんとか地上を縫って大回りするルートを見出したのであった。




それは明治10年代を通して習得した近代測量の技術を総動員した大プロジェクトだったといえる。明治19年という凄さを実感するには、那須基線の項で述べた日本地図の三角測量の最初の一辺=相模野基線の測量が明治15年であったことを思い出せば充分だろう。その間、わずか4年…明治人の 「覚える→即実践」 のチャレンジ精神の成果は、いま筆者の揺られている鉄の軌道として現代まで確実に伝わっている。これは、結構凄いことなのだ。




名前もよくわからない関川の支流を鉄橋で渡っていく。厳冬期には2mを越える積雪量だというけれど、こんなところに鉄道を敷設した明治の鉄道エンジニアは偉大だな。




その後も、絵に描いたような真っ白の景観が続いた。都内の通勤電車のような小うるさいアナウンスもなく、ガタン、ゴトン…という軌道音の連続のみが、単調で贅沢な時間を紡いでいく…




■妙高高原




妙高高原に到着したのは直江津を発ってから1時間少々後であった。相変わらず雪は降り続いている。…そして、駅はとても静かな処(ところ)だった。




ホームから見える風景は、駅舎側こそ駅前商店街があってそれなりの市街地具合だが、反対側は山と原野…といったカンジで、目に付く建物はぽつり、ぽつり…といったところだ。




改札口は、無人である。駅舎に人は居るには居るのだが、切符は "箱に入れて勝手に通れ" 式で回収していた。




さて降りてはみたものの、目前にどーんと展開している筈の妙高山の威容は雪雲でまったく見えず、駅舎にも目ぼしい客はいない。

うーん、どうしたものか…と考えて見回すと、おお70mほど向こうに観光案内所がっ♪




駅前も閑散としていたが、案内所も実に閑散としていた。おかしいなぁ、妙高高原といえばスキーのメッカだろうに。春スキーをしに来るスキーヤーはいないのだろうか。…と、思って係員氏に聞いてみると…

係員 「もう今年のシーズンは終わりですよ。今日の雪具合なら上の方に行けば滑れそうですが、どうします?」
筆者 「…いや、あまり遠出をするつもりはないのです」
係員 「すると、どちらまで?」
筆者 「まあ…ふら~っとやってきたので、近場で適当なそれっぽいところを」

こういう客は扱いにくいだろうなぁ……と内心思ってはみたものの、そこはプロの案内人で、観光MAPを取り出して幾つかの候補を示してくれた。

筆者 「池の平温泉……ですか」
係員 「いもり池を散策して温泉に入られるのが定番ですよ。ビジターセンターなどもお勧めです。」
筆者 「この雪で散策…あの、池から温泉まで歩いてどのくらいですか」
係員 「10分少々ですよ……天候が良ければ

うむ、とりあえずその路線で行こう。…なんだか最後に小声で付け足していたような気がするけれど、まあ気にしないで行くのが漢(おとこ)というものだろう。

<つづく>