2009.04.11 那須野の桜処を巡る(その1)




いよいよ桜の季節がやってきたのでぐるるーんと周遊してみましたヽ(・∀・)ノ




ここ数日の超絶晴天+ほとんど夏日じゃないの的な暖かさで、桜前線は那須野ヶ原を瞬殺速度で通り過ぎていったような気がするw そんなわけで那須塩原市~大田原市の桜スポットをハシゴしてみることにした。




■黒磯公園




さてまずは黒磯公園に向かってみる。空模様は雲ひとつ無いピーカンだが、春に特有の霞がかった青空であり微妙に遠景は霞んでいる。…まあ春だし、そのへんはとやかく言うまい。

4月の天気というのは3~4日周期で雨/晴を繰り返すのが普通である。桜を撮るうえで天候周期とカレンダー(週末)具合の関係は重要で、めぐり合わせが悪いと 「ここぞ」 というタイミングを逃してしまうことがある。その点、今年の第一~第二週の晴天の続き具合はなんとも幸運な巡り合わせになっている。




黒磯公園は那珂川の河岸段丘の縁に立地する公園である。道路一本隔てて那珂川河畔公園とほぼ一体の景観となっている。段丘部分は階段で降りることができ、河畔公園との往来は自由である。

黒磯公園からは那須連山と那珂川の風景が一望でき、桜も多いことから地元の代表的な花見スポットになっている。




そんなわけで到着。おお、数日前に確認したときは硬いつぼみだった筈なのに、いきなり満開になっていてちょっと驚く。咲いたばかりなのでまだ散る花はほとんどなく、芝の上はきれいなものだ。さっそく花見客がどんちゃんモードで酒を飲んでいる。

それにしても、やはり日本人たるもの "桜を見てこその春の気分" であるな。 長い冬の沈黙の果てに一斉に咲き、短命のまま美しく散る…これが日本人のもののあはれというか、美の感覚の元になっているんだな。




さて特に芸もなく巡光どアップで撮ってみた。桜を綺麗に撮るコツはオートに任せっぱなしにするのではなく露出補正をマメにせよの一言に尽きる。オート露出は特に背景の明るさに引っ張られるので、逆光や曇天の空(花がドス黒く写る)はなるべく画面に入れないというのも工夫のひとつだ。晴天で巡光条件なら青空に花の明るさが負けることはないのでどんどん撮ってみればよい。



公園の河岸段丘部から那須連山を見渡してみる。目前に広がるのは那珂川河畔公園で、堤防の桜並木もほぼ満開になっている。河畔公園も桜は多いが、やはり見晴らし具合的には黒磯公園のほうに軍配があがるかな。

ここは視界を邪魔する電線等が無いので、那須連山の撮影スポットとしては密かにポイントが高い。早朝の空気が澄んだ時間帯に来ればもう少し山がくっきり見える筈だ。




さてここで階段を下りて崖下に回ってみる。斜面に沿ってちょっとした遊歩道(線路の枕木の再利用らしい)が整備されていて、カメラを抱えた人たちが歩いていくのが見える。




彼らのお目当てはこのカタクリの群生である。ちょうど今頃、桜とほぼ同時に咲く慎ましやかな花だ。

昔はこの根から澱粉をとりカタクリ粉と称したが、現在カタクリ粉として流通している澱粉はその大部分がジャガイモから採ったもので、果汁0%のフルーツジュースよりも罪深い存在(?)になっている。しかしそれでも "澱粉" というストレートな名前では売上げが上がらないそうで、いまだに "片栗粉" の名称が使われているのである。




こんな小さな花でも群生するとそれなりの美しさがある。ちなみにカタクリがカタクリであることが認識できるのはこの季節だけで、春になると芽が出て開花し、花期が終わると間もなく葉は枯れてしまう。あとは翌年まで球根(→澱粉の元)のまま地中で過ごすので存在がわからなくなってしまう。こんな瞬間湯沸かし器のような生態なので分布を調査しようにもナカナカ難しいらしい。

とりあえず、今年の開花は記録できたのでヨシとしようか。




さて一通りカタクリの段丘を往復してふたたび桜のエリアに復帰した。

いつのまにか宴会のどんちゃん具合がパワーアップしている。どうやらアンプを持ち込んで音楽の演奏を始めている奴が居るな……しかしまあ、花見の時期なのでとやかくは言うまい(笑)




ところでどこかで書いたかもしれないけれど、桜のうち観賞用として広く植樹されているソメイヨシノは自然に増えることはない(実がなっても遺伝的に芽は出ない)。この特異なF1雑種は人が接ぎ木で増やしているもので、そこにソメイヨシノ系の桜があるということは、誰かが何らかの意図をもって植えたということである。

ソメイヨシノは江戸時代から人気のある品種だったが、第二次大戦後の復興過程で市街地や公園、学校などで大量に植樹されたことで特に爆発的に増えたらしい。昔は神社仏閣や墓地に慰霊の意味を込めて植えられるものが多かった筈なのだが、今ではすっかり 「即席花見の名所の役者さん」 という趣となった感がある。




慰霊を意味するものとしては黒磯公園には忠霊碑が建っている。戦前に造られた公園にはこうした碑が必ずといって良いほどあり、そこには大抵桜がセットで植えられていた。戦後はGHQの神道指令で戦没者を讃える石碑の撤去が進められ多くが消えてしまったが、サンフランシスコ講和条約(昭和27年)が締結されてGHQが去り、日本が独立を回復すると再び建てられるようになった。この動きは再独立後10年ほどの間に集中している。

黒磯公園は昭和32年に開園した "戦後の公園" だが、時期的には忠霊碑(昭和29年)の方が早い。おそらくは独立回復後すぐに忠霊碑が建てられ、それを拡充する形で公園化が図られたのだろう。碑が建っている場所は那須連山と那珂川のよく見渡せる位置で、ここからもこの公園の本当の主客が花見客ではなく英霊であることが見て取れる。

その意味ではこの公園の桜は実に正しい "和" の文法のもとに存在していることになる。生きている人間はオマケに過ぎないことを認識しつつ、本来なら静かに花を愛でるべきなのである。あーそれにしても、カラオケの声がうるせぇな!(笑)




■埼玉周辺




さて次に向かったのは埼玉(さきたま)の地蔵堂周辺である。このサイトを検索してくる人の中で埼玉飛行場をキーワードにしている人が結構居るのだけれど、今回は飛行場には言及しない。

明治の開拓期、この周辺には那須東原開墾社が入植した。同社を結成したのは埼玉県熊谷周辺の農民32戸で、資金を融資したのも埼玉県人が多かったため、付近の地名には埼玉県にちなんだ熊谷、行田、稲村などの名称がつけられた。那須疎水第二分水の水利権を得て整然とした区割りで開墾が行われ、現在でも Google Earth などで衛星写真をみると防風林が一定間隔で植えられていることが確認できる。その開墾集落の中心に、村人の心のよりどころとして地蔵堂と開墾神社が建立された。ここで向かう桜スポットは、その周辺である。




地蔵堂前の那須疎水第二分水沿いには、周辺の開拓農家の区割りと世帯主氏名を記した案内板が建っている。いまどきの世相なら 「氏名を出すのは個人情報が云々」 …と言い出す人がいるかもしれないが、それは都会人の発想であってここでは気にする人はあまりいない。

得体の知れない人間がいないということは、自治がまく機能しやすいということでもある。実際この集落は地域行事などの参加率も高く、共同体としてのまとまりが強い。戦後の新興開拓地で新参流入組の多い飛行場跡地(地区割りとしては同じ埼玉となる)に対しては、コミュニティの維持や活性化をリードしていくような関係にある。

※もし社会学系の学生がレポートのネタを探しているなら、この地区の歴史と自治活動を研究すると面白いレポートが書けるかもしれない。




そんな埼玉地区の中央に建つ地蔵堂は、遮るもののない広い空間のなかに小さいながらも存在感をもって建っている。この一角は神社、公民館、消防署などの地区の主要公共施設が集中し、遊具類は一切無いもののちょっとした公共の広場となっている。桜はその南端側に植えられている。樹齢はまだ若く、20~30年といったところだろう。




規模が小さいながらも何故ここが桜の撮影スポットかというと、周囲に電線がないというのが最大のポイントである。さきほども書いたが、自然増殖しないソメイヨシノ系の桜は、そのすべてが人の手による植樹である。人が植える=人の集まるところ=それなりに電線や街灯がある所…ということで、案外邪魔なものが多い。それがここではカットされているので写真映えする絵が撮れるのだ。




さてこちらは広場脇にある開拓神社。小さいながらも杜(もり)の木々が神域の存在を感じさせる。




ただし今では社殿(四角い土台だけは残っている)は失われ、大黒様を模った小社が鎮座するのみである。大黒天=大国主=大己貴命…か。出雲系かな。地図によっては温泉神社と書いてあり、大己貴命はたしかに温泉の神様なのでそれで合っているのかもしれない。




さて地蔵堂は小さなスポットなので少し離れてみる。牧草も花をつけてイイカンジだな…




那須疎水第三分水からさらに分水した水路を、農家のおっさんが清掃しながら水門開放していた。ちょうどこれから水田に水を入れるところらしい。



命の水、那須疎水から分水された水が流れていく…。



そして今年も埼玉の桜を1枚。枝を剪定されて以降、ちょっと微妙なのだけれど、雪山とセットのアングルはなかなか捨てがたい。




すこし北上して埼玉の北端近くに、山桜の群生がある。あそこもひそかなマイ定番である。




毎度毎度同じアングルだが、このぽやや~ん、ほわわ~んとした雰囲気が気に入っている。




さて小スポットはこのくらいにして、次はもう少し大きなところも尋ねてみよう。

<つづく>