2011.03.11 震災の日 (その3)




■03/14


 
さて震災後4日目である。週が明けて今日は月曜日。会社は鉄道網が麻痺状態なので実質休業となるらしく、筆者も念のために休暇を申請した。…といっても遊んでいるわけではない。このガソリン難と渋滞の中、単身赴任先の熊谷までたどりつかねばならないのだ。

貧乏サラリーマンは世界が核の炎に包まれようとモヒカン珍走団がヒャッハー!と走り回ろうと、仕事に戻らなければならない。たとえ世界の終わりが来ようとも筆者の職場はシレっと 「さあ今日も一日頑張りましょう」 などとやっているに違いないのだ。

それはともかく、少しでも渋滞を避けるために夜明け前に那須を発った。敢えてR4を避けて関谷経由で県道r30を通り矢板に到達、市街地には入らずにR461に合流して今市に抜ける。そこからはR121 ~ R293 と鹿沼経由で足利に到達、さらにR407で利根川を渡る。ややこしそうだが経験的に混雑を避けることのできる安全パイコースを往く。



 
途中、給油可能なスタンドを見つけて列に並び、なんとか滑り込む。ガソリンスタンドはタンクローリーが入ると瞬間的に営業してタンクが空になると閉店…という状況なので、営業中の店舗を見つけたら迷わず給油する必要がある。 どこにどのタイミングで行けば良いという情報は無く、地図と時間帯を見ながらヤマ師のような勘で 「このへんかな?」 などとやるしかない。

ガソリンはまるで業界で申しあわせたように \2000分限定でしか売ってくれなかった。実質13L…これでは物資を求めて買い物に出歩くのにも困りそうだ。うーん。


 
そんな次第でなんとか熊谷の秘密基地に帰還。新聞をみると地震の規模はM9.0に修正されており、死者数は1桁増えて1万人となっていた。福島原発は3号機も水素爆発を起こし、避難すべきか屋内退避かでモメている。放射能汚染に関する情報はまったくといっていいほど発表されず、枝野官房長官が 「ただちに健康に問題が出るレベルではない」 をひたすら繰り返しているのみであった。

岩手、宮城を支援している米軍などは慣れたもので、日本の行政からの情報提供を待たずにどんどんヘリを飛ばして被災者を目視で発見し、その場で支援物資を下ろしていくスタイルで業務を行っているらしい。ヘリポートではない住宅地に勝手に着陸するのは航空法違反にはるはずだが、そのへんはうまくスルーしているのだろう。


 
一方自衛隊は、報道写真を見る限り遺体の捜索や収容などを行っている場面が多いようにみえた。地味ではあるけれども絶対に必要な業務であり、彼らはそれを黙々とこなしている。時の最高司令官を選べない不幸は置いておくとして、せめてかれらには名誉と労(ねぎら)いの言葉が与えられて然るべきだろう。

…で、我らが敬愛する菅総理はというと、現地に調整役の一人も派遣するわけではなく、市町村と警察、消防、自衛隊に処理を丸投げしているだけでこれといって指揮をとっている訳ではなさそうだった。思い付きで意味不明な指示や命令を出されるよりは遙かにマシだけれども、役割のよくわからない対策部会を大量に設置しては 「あとはよろしく」 といった調子で、船頭多くして(中略)を地で行っている。…本当に大丈夫なのかな。



あれほど騒いだ輪番停電は、結局初日は実施されなかった。…が、明日の見えない状況は続いていく。

東京電力の 「おわび」 の1面広告では、原発の爆発については結局触れられてはいなかった。刺激的な表現を避けて単に "大きな影響" と書いたところに、その苦しさが透けて見えるような気もする。

…しかし、安全対策を怠ってメルトダウン(このときはまだ圧力容器は健全だとされているが…)を招いた責任はいずれ追及されなければならないだろう。東京電力の役員には技術畑出身者がおらず、経理屋ばかりが出世してコストカットで利益を上げていた。だから肝心なときに適切な意思決定ができない訳で、これが改まらない限り重大事故が起こるたびに同じことが繰り返されるだろう。


 
…さて、これからどうなっていくのだろうね。

<完>