2011.07.23 復活のアクアマリン、そして福島原発に向かってみる:前編(その2)




■アクアマリンふくしま


 
さて水族館の駐車場に入ってみた。開館したばかりの時間帯で、先行者はクルマで30~40台ほど。ささやかな台数ではあるけれど、県外からの来訪者も結構いる。

駐車場そのものは目算で300~400台くらいの収容力がありそうで、まだその1割くらいしか埋まっていない。しかしまあ震災の爪あとが残る中での再オープンでもあることだし、いきなり満員御礼というわけにも行かないだろう。


 
なにしろすぐ隣の海運倉庫は津波で壁や鉄扉が破壊されたままで、修理に手がついていないのである。散乱している瓦礫こそ片付きつつあるものの、本格的な建物の修理や解体はまだまだなのだ。


 
…というより、むしろこの状況下で水族館がいち早く再開したことの方が驚異的といえる。


 
駐車場脇には、瓦礫を積み上げてつくられたオブジェが出来ていた。手前のアクリル板のモニュメントは津波で壊れた水槽の破片らしい。今でこそ単なるゴミの山(失礼)に見えるけれども、周辺の市街地が小奇麗に片付いた後は、このオブジェが津波の被害と復興の物語を語り継いでいくことになるのだろう。


 
さて前置きはこのくらいにして、中に入ってみるとしよう。




■館内の状況




ということで入場した館内はこんな感じである。津波は鯉幟型の吊り物のあたりまで来たそうだが、建物の芯の部分は分厚い鉄筋コンクリートと鉄骨だったため建屋全体が倒壊することはなかった。外装もガラス張りであったため、水の来た部分だけが割れて上部構造には破壊が及ばなかったらしい。

今にして思えばこの "コンクリートの打ちっ放し" というのが早期復旧にかなり役立っているようで、壁の張替えが不要でブラシでゴシゴシ…だけで済んだかどうかはよく分からないが、比較的簡易な復興を可能にしているように思えた。


 
入り口には、熱いスタッフメッセージが掲げられている。 文面はちょっと気負いすぎ?な気がしないでもないけれど、復興が一巡したのちに、ここに 「楽しさ」 が加わるくらいの心の余裕が生まれることを希望しておきたい。



 
展示室に入ると…おお、吊りものの古代魚 (ディニクティス…でいいのかな) のオブジェが以前と同じように浮かんでいる。別の場所に吊ってあった鯨の骨格は流されてしまったようだが、このオブジェは生き残ったのだなぁ…


 
一階部分は完全水没したはずなのに、ヘドロもすっかり除去されて展示物の体裁もイイカンジに復活している。間に合わせとか安っぽい感じはなく、ちゃんと費用と手間をかけて作っているようだ。


 
巨大水槽の生物は震災でいったんは全滅していて、順次補充中といったところだった。その数およそ20万匹…途方も無い数の飼育魚を以前の状態にまで復帰するのにどれほどかかるのか、筆者にはちょっと想像がつかない。

震災前のこの水槽の見所はイワシの大群だったのだが、筆者が訪れたタイミング(復活1週間後)では底のほうでぐるぐると群れが巡回していて、まだ往時の迫力には及んでいなかった。イワシは福島近海でいくらでも捕れると思うので早めに補充されることを期待しよう…


 
ところで水槽の生物が全滅の憂き目に遭ったのは、震災に伴う長期の停電のためだったらしい。ポンプやヒーターが使えないため水の循環や温度管理が出来ず、水槽は濁って藻で緑色に染まってしまったという。

ようやく初期の混乱期が去って各種物資や発電機、ガソリンが入ってくるようになっても、配給は被災民が優先で水族館には回らなかった。


 
そのため水族館では魚の救済は諦めて、海獣類などに限ってピンポイントで退避させることにしたようだ。預かり先として協力してくれたのは同業者である日本各地の水族館である。これは有体(ありてい)に言って館長氏とスタッフ一同の日頃の人徳の賜物と言っていい。


 
おかげでその海獣コーナーでは、震災前とほとんど変わらぬメンツを眺めることができる。避難して戻ってきた生物は全部で200匹ほどだそうだが、いずれも簡単にその辺で捕獲できるようなものではない重量級だ。


 
その戻ってきた面子の中に、新しい一匹が加わっていた。生まれて間もないゴマフアザラシの赤ちゃんで、どうやらこのコーナーにおける一番人気であるらしい。

ゴマフとは漢字では胡麻斑と書き、要するにゴマを振ったような斑点があるという意味である(見た目もその通り)。この赤ちゃんは母アザラシが避難先で産んだものだそうで、解説によると誕生日は4/7とあった。この日はたしか仙台沖でM7.4の余震があった日で、ふたたび津波警報が出されるなど世情はまだ収まっていなかった。


 
その名前は 「きぼう」 と付けられたようだ。そのままでは呼びにくいので愛称はどうやら "キー坊" になるらしい。地震と津波と原発事故という数奇な星の元に生まれた子だが、果たして彼にはどのような運命が待ち受けているのだろう。


 
さて館内は非常に広いのですべてを紹介しているといくら紙面があっても足りない。そこで水槽の写真は適当に端折って載せてみるのだが (いいのかそれでw) 、後から見直すと今回はどうも食欲をそそるような被写体ばかりを撮ってしまっている気がする(笑)

もともとアクアマリンふくしまは珍奇な魚を集めて見世物にする施設ではなく、黒潮と親潮のぶつかる福島近海の "潮目の海" をテーマとした水族館である。だから普段我々が食卓で目にするのと同じ魚を生きた状態で見せてくれるコーナーが多く、それはコンセプトとして成功している。たとえば上の写真はイカの群れだが、写真で見るより実際はもっと透き通った質感で、これを水揚げの直後にイカ刺にして食べたら実にうまそうなのである(…って、また食欲の話)


 
こちらは干物にするとおいしそうなアジの群れ。イワシの群れもそうなのだが、水槽にカツオやマグロなどの大型魚が増えると身を守るために固まって群れとしての動きが引き締まった感じになる。現状では大型魚がまだ少ないので水槽内には緊張感が少なく、密集体系もやや緩めのようだった。

※この 「食う、食われる」 関係を水槽の中で再現しているのもアクアマリンふくしまのコンセプトのひとつである。


 
それにしても、水族館が水族館らしい体裁で復活してくれると、ようやく復興活動が本格始動…という感じがしてくる。

小名浜港、さらにはいわき市全体が復興していくにあたって、まちがいなくここは灯台のような役割を果たすだろう。この際、気休めでも痩せ我慢でも何でもいいのである。巨大災害で打ちのめされた地域が立ち直るには、何かシンボリックな "灯" が必要であり、アクアマリンふくしまは自らその役割を買って出た。その努力は認められて然るべきであろうと筆者は思うのである。


 
さて館内には激励の寄せ書きらしいものもたくさん貼られていた。


 
ひとつひとつは他愛も無いメッセージではあるけれども、こういう蓄積がきっと復興の士気に関わってくるのだろう。その多くは子供たちからのもののようだ。では大人の方はどうかというと、少なくとも復旧工事に関わっている業者さんからはかなりの 「勉強」 で応援メッセージが届いているらしい。


 
さらには同業の各種水族館からも多数のメッセージが届いていた。鴨川シーワールド、葛西臨海水族園、マリンピア日本海、新江ノ島水族館、伊豆三津シーパラダイス、上野動物園、井の頭自然文化園、多摩動物公園、横浜八景島シーパラダイス、鶴岡市立加茂水族館、アクアワールド大洗、品川水族館、京急油壺マリンパーク、浦郡市竹島水族館、大阪海遊館、下関水族館、海の中道海洋生態科学館、鹿児島水族館、大国魂神社(なぜここだけ神社^^;)…

こういう横のつながりが、飼育生物の一時預かりやリニューアルオープンに伴う展示生物の提供などにつながっている。ここでは紙面の都合で端折ってしまっているが、これら施設からのメッセージはいちいちパネル化してすべて張り出されていた。海洋科学館というジャンルはサイエンス系のなかでもガチンコに近い分野であり、案外義理人情の世界であることが伺えるひとコマだ。


 
ところでこの水族館の復興に関して、所轄官庁である文部科学省が何かしたのか調べてみたのだが…一応、福島県に教育機関の復旧費として補助金が拠出されており、5月度の県の補正予算から4000万円あまりが投じられたようである。

これだけの施設の修繕に4000万円で足りるか?…という気がしないでもないけれど、取材時点では国の二次補正予算も通っていない状況で、そもそも予算枠が不足している。下々(しもじも)の担当者の苦労はまだしばらくは続きそうだ。




難のときの諸相




さてひととおり館内を回って、最後に売店で腹ごしらえをしながら震災当日の状況を聞いてみた。地震の直後、水族館では入館客、職員とも建物の上階にすみやかに避難させ、クルマや展示物などは流されたものの人的被害はなかったらしい。津波は堤防を乗り越えて建物の1階部分を完全水没させ、売店も押し流した。「気が付いたらもう沖に波が見えたんですよ」 というから、タイミングとしては間一髪であったらしい。




「震災のときは、皆あそこに逃げたんです」 と売店の方の指差したのは、水族館で最も高い展望スペースだった。第二波、第三波…と津波は何度も襲ってきたため、来館者もスタッフもそのまま館内で夜を明かしたという。目の前の埠頭では係留してあった船が押し流されていくのが見えたとのことだ。


 
ところで水没した1階の展示品の中でも貴重なシーラカンスの標本は、奇跡的に無事であった。

ここにも津波の水は入ってきた筈なのだが、標本はひっくり返りつつも水槽が丈夫であったためガラスは割れず、中身はヘドロまみれにはならなかった。アクアマリンふくしまはシーラカンスの研究には熱心だっただけにこれが流されなかったのは幸いといえる。


 
そのような次第で、今回のお土産はシーラカンスチョコレートパイに決定した。しぶとく生き残る生命力に筆者もあやかってみよう♪


 
館内から出た後は埠頭のほうに出てみようとしたのだが、残念なことに付近は立ち入り禁止であった。基礎がしっかりしている建物部分とちがって、こちらは陥没やら波打ちやらでボロボロの状態である。…ここが復旧するまでにはもうしばらくかかりそうな気がする。

…ということで、今回はここまでにしておこう。次回は海岸沿いを北上していくことにする。

<後編につづく>