2013.02.11 中部北陸:雪国紀行 ~糸魚川/親不知編~ (その3)
■市振(いちぶり)
さて親不知のトンネルを抜けると市振関跡に出る。切り立った崖のエリアはまだあと8kmほど続くのだが、この付近から先は幅100mほどの細長い平地が続いており、細々とではあるけれども人の営みが続いてきた。
地形的にはここは "境川" といういかにも越中/越後の境界らしい小河川の河口にあたっている。しかし河口といっても三角州と呼べるほどの平地はなく、その代わりに両翼の広い砂浜が薄く広がっていて、どうやらここは潮の流れで砂や石が波に打ち寄せられてできた地形らしい。
ここにはかつて市振の関と呼ばれる関所が設けられていた。時代はやや新しく、その設置は江戸時代初頭の寛永年間(1624頃)といわれる。直江津(というより高田)に徳川譜代の大名がくるくると変わりながら配されたことと併せて考えると、どうやら徳川幕府は加賀藩前田家に対して過剰とも思える警戒感をもって 「蓋」 としての機能をこの地に持たせたらしい。
・・・が、今回は筆者はここに長居をしたわけではないので、掘り起こせば面白そうなそのへんの機敏については詳細に触れないw
さて休憩ついでに道の駅に寄ってみると面白い光景が見られた。
これである。サンリオもキャラクタービジネスを変な方向に持っていくのをいい加減改めてほしいところなのだが(笑)、正しいツッコミどころはそこではない。
ここは県境=境川の1kmほど手前であって、行政領域としてはまだ新潟県である。にも関わらず、販売しているグッズは富山県のものに侵食されていて、親不知の断崖のこちら側はもう帰属意識が違っているようなのである。
…こんなところにも、難所で寸断されている一本道世界の精神構造が見え隠れしているようで、筆者はそんなところに面白味を感じたのであった。
■ヒスイ海岸、ふたたび
市振を過ぎると、ほんの1分ほどで富山県に入る。かつての越中国である。市振から続く細長い砂浜はまだ続いていて、難所に向かう "浜の道" の風を呈している。
その終端近くの宮崎という岬の付近に、もうひとつのヒスイ海岸がある。糸魚川では雪で断念してしまったが、ここでは原石拾いに再トライできるかもしれない。
ここは奥行きのない地形なので、R8から折れて数十m先はもう海岸の堤防である。雪は積もっていない。ちょうど小さな駐車場があったので滑り込んでみる。
…さて、海に出てみよう。
…おお、何年かぶりにやってきたヒスイ海岸 …♪ ヽ(´∀`)ノ
こうして堤防側からみると一見砂浜基調のように見えるかもしれないが、実は波打ち際には砂はほとんどない。ここは卵大の石が堆積する "石の浜" なのである。もちろん砂もそれなりに堆積はするのだが、冬季の荒れる日本海の波が粒子の細かい砂を持ち去ってしまうようで、波打ち際は石ばかりになってしまうらしい。
ここに供給されて堆積するヒスイの原石がどこから流れてくるかについては、諸説あってまだ明確にはなっていない。糸魚川から海流に運ばれてくるとする説、海底に鉱脈が露出している可能性を指摘する説などがあるらしいが、まあロマンと物語性からいうと糸魚川から流れてくる説の方が魅力的といえる。
波打ち際の石の浜はこんな具合である。さて、どれどれ…と見回して 「うーん…」 と唸ってみるが、正直なところどれがどれだかさっぱり分からない(笑)。とりあえず緑色の鉱物を見つければいいらしいのだが、筆者の節穴的眼力ではいささか用に足りないの感がある(^^;)
…と、そのときふと波打ち際でじっと波濤を見つめる中年男性の姿が目に入った。
嗚呼、これが憂いを秘めた髪の長い妙齢の女性であれば、すかさず駆け寄って 「そこの君、待ち給え。早まったことをするんじゃぁない」 などと声をかけたところだが…相手がおっさんじゃなぁ …放っておこう( ̄▽ ̄;)
……と、思ってさらに遠方をみると、またもや挙動不審のおっさんがウロウロしている…あれ?
タネ明かしをすると、なんのことはない、この人たちもヒスイを探しているのであった。さしずめ現代のヤマ師さん…といったところだろうか。
そのまま、しばらく付近を散策してみた。見れば筆者の目の届く範囲で7~8人ほどが宝探しをしている。数百メートルでこの人数は、結構多いのではないだろうか(^^;)
浜には石の多いところと砂の多いところがあって、ヤマ師さんたちは波の荒い≒石の多い波打ち際を丹念に探しているようだ。波しぶきを被りながらの探索なので、筆者は一歩も二歩も後方から眺めるだけだが、見ていると彼らの集中力と根気にはなかなか侮り難いものがある。
ちなみに海岸でヒスイ拾いに興じる人が多いのは、姫川や青海川上流の鉱床が天然記念物に指定されて現在では発掘や採取が禁止されているためだ。しかし禁止されているのは直接鉱床付近で採取する行為であって、下流域で浜に打ち上げられたものを拾うのに特別な制限はない。ゆえに一攫千金を夢見る暇人は、みな海岸に集まるのである。
それにしてもナニゲに緑色の石はいくつもあるけれど、どれも違うような気がしてならない。……まあ、あまり宝探しに現(うつつ)を抜かして時間を食いすぎてもアレなので、欲の皮が突っ張った話はこのあたりでひとまず終わりにしておこうかな(笑)
さて、ここを過ぎるといよいよ白川郷を目指して内陸の道を行くことになる。海岸沿いを走る編を締めくくるにあたっては、やはり平安の頃の道の風情に言及しておきたい。
そのような次第で、日本海の最後の写真としてヒスイ海岸から市振方面を捉えてみた。向こう側に霞んで見える断崖は親不知の難所である。
北陸道は道に非(あら)ず、浜の渡りである……と思えば、この石だらけの海岸もまた違う印象を帯びてくる。浜を行く人影を旅人と見立ててみれば、そのあまりにも映画的な物語性に言葉を失うほどである。
ヒスイの混じった石の浜は、やがてどんどん細くなって天剣の断崖に至る。かつて稚児を連れて都落ちした母の目には、この風景はどのように映ったのだろう。
・・・そのとき、幼子はまだ懐に抱かれている。
<白川郷/飛騨高山編につづく>