2013.03.23 鉄と日本刀を訪ねる:出雲編(後編その4)




■ 水減し




さて二つ目の玉鋼の潰しが始まった。やはり最初は低温気味で、ゆるゆると力をかけていく。




こうして絵だけ見ているとまるでハンバーグを整形をしているみたいだけれども、実際は堅い金属の塊である。それがみるみるうちに整形されていく。最初は金色に輝いている玉鋼が、温度が下がってくるとだんだん赤みを増してきて、ある程度までくると再度炉で加熱される。その繰り返しである。…というか、おお筆者にもみえるぞ、温度と色の関係が!…なんとなくだが(ぉぃ ^^;)♪




作業の間、刀匠さんは温度計などは一切使わない。頼るのは自身の目と手感だけ。




玉鋼のスポンジ状の組織があらかた潰れた頃、またもや板コンニャク状の形へと整形が始まる。表面からは酸化膜がポロポロと剥がれ落ちていく。




酸化膜が溜ってきたら、また水を当ててパシっ、パシっ…と飛ばしていく。このプロセスで、鉄はどんどん減っていってしまう。聞けば一本の刀(重さにして1kg前後)をつくるのに玉鋼は10kgほども使うのだと言い、実に9割を失って清浄な1割を残すというのが刀の鍛錬であるらしい。ひええ。




さて今回は、さきほどと違ってコンニャク型では止まらない。どんどん加熱して叩いて伸ばして…が繰り返されていく。




やがてだんだんモスバーガー的なリッチで肉厚な雰囲気が消えて、マクドナルドのハンバーガー肉のような薄くて平たい形になってきた。あのゴツゴツとした玉鋼がこんなふうになってしまうとは…(^^;)




写真では分かりにくいかもしれないけれど、180度回転。さらに薄く叩き伸ばしていく。

見れば同じところを鍛冶挟みで持っていると温度分布が偏ってしまうらしく、頻繁に向きを変えながら均等に伸ばしている。奥側と手前側で赤熱状態の色合いが違うのは温度勾配が目で見えているもののようだ。




またもや、水でパシっ…! これはちょっと派手に飛んで、筆者の顔にまで飛んできた(笑)。玉鋼に触れているのはほんの一瞬の筈なのに、水は沸騰して飛び、当たると淹れたての日本茶くらいの熱を感じる。当然、作業をしている刀匠さんの身体にはこれが毎度毎度ハネている訳だが、そんなことを気にするそぶりもみせずに作業は進行していく。



厚さが4~5mmくらいになったところで、打ち伸ばしは終了。最後に表面に残った酸化膜の残りかすを、金槌に水を付けて軽く叩きながら、パンっ、パンっ…飛ばす。




そして水にジュボっ…と浸けて急冷。




まるでエビ煎餅みたいな状態になった。水に浸けるのは焼き入れの意味があり、品質の悪い玉鋼を使うと焼き入れの瞬間に割れてしまうこともあるらしい。今回は割れ、欠けなどはなく綺麗な煎餅ができた。ここまでが "水減し" という工程になる。




これを、金槌で砕いていく。焼き入れ=硬く脆(もろ)くなるので、パキパキと砕けていく。




断面は銀色で、スポンジ状の隙間はあらかた潰れて密になっている。なお写真では断面の右上部に層状の隙間っぽいものがみえているが、これは不純物(※)が押しつぶされた部分に相当するという。状態が悪すぎる場合はこの段階で刀匠さんの判断により除外する。

※ここでいう不純物とは、おそらくは最初の玉鋼で見えていた色のついた部分だろうと筆者は推測。モノによっては雑多なゴミが取り込まれている場合もあり、どの程度のものが許容範囲になるのは素人にはわからない。




破片の結晶状況をみながら、さきほど造ったコンニャク板(違 ^^;)の上に並べていく。




素人目にはよく分からないのだけれど、良い部分、悪い部分を見極めながら並べているようだ。

なおパラパラと白い粉が見えているのは硼砂(ほうさ)といって鍛着材の一種である。天然に産するものはホウ酸ナトリウムの水和物で、水和水が入っていると具合が悪いので焼いてから鉄粉などをまぜて使用するらしい。ブレンド比は人によって秘伝の割合があるようだが、今回は筆者はそこまで細かい質問はしなかった(^^;)




これに藁灰をまぶし、泥水をかける。ここから先は炉の温度をかなり上げるために、いわゆるコーティングの役割をこの藁灰と泥水で兼ねさせるということらしい。




人によっては藁灰をまぶす前に和紙でくるんだり紐で縛ったりする場合もあるようだが、こちらの刀匠さんはこの状態で作業を進めるそうだ。

…ということで、午前中はここまでで作業は終了である。昼食をはさんで、続きは午後になる。

※刀剣館の時間割をみると 「午前の部」 「午後の部」 とあって、まるで映画館の入れ替え制のように同じメニューが繰り返されるような印象をもってしまいがちだが、嬉しいことに実は連続した工程を見ることができる。ちょこっとテコ先を熱して叩く真似をするだけ・・・という訳ではないのが、なんとも素晴らしい ヽ(´ー`)ノ



 

■ 職人の仕事場




さて筆者はずうずうしくも刀匠さんと昼食をご一緒させていただく栄誉を得た。行った先は稲田神社(櫛名田姫を祀った神社)で、なんと社務所が蕎麦屋を兼ねているという霊験あらたかなお食事処である(^^;)




…といっても話題は世間話ばかりであまりテクノ談話にはならず(笑) まあ出雲の蕎麦が美味いということは分かったので良しとしよう。

それでも雑談のなかで、筆者は日本刀のルーツはどのあたりにあるんでしょう、的な質問をぶつけてみた。刀匠さんは思慮深く、なかなか断定的な物言いはされなかったのだが、五箇伝の中で云うと 「大和…ですかなぁ」 と申されていた。

大和伝というと時代的には直刀の頃からであり、天国(あまくに)という奈良時代の刀匠が伝承上では出てくるが、残念ながら存在は確認されていない。ただ、直刀が湾刀に変わっていく過程で、蝦夷との戦いによる影響が古くから指摘されていて、その蝦夷と朝廷との戦いがピークを迎えるのが奈良時代後期から平安時代前期のあたりなのである。

最初に影響を受けたのは、まあ常識的に考えて都から派遣された戦闘部隊であっただろう。彼らが持ち帰った戦闘報告における蝦夷刀の優秀さが、後の日本刀誕生の源流になっていくようなのだが、このあたりの事情については、のちほど別のレポートで書いてみたい。




さて食事の後、午後の部が始まるまでの僅かな時間ではあったが、筆者はさらにずうずうしく(^^;)、刀匠さんの仕事場を見せて頂くことが出来た。




これが、本物の刀鍛冶の仕事場である。撮影は構わないとのお話だったが、あまり無節操にシャッターを切って業務上の秘密がうっかり写ってしまうのもアレなので、炉の周辺はこの1枚だけとした。

それにしても、本物の鍛冶職場は、非常にコンパクトかつ質素なつくりで、実際のところ筆者はもっと雑然としたところを想像していたのだが(^^;)、近代製造業の現場教育でよく言われる5S(※)が徹底されていて驚いた。予約なしの突然の訪問でこれなのだから、おそらく普段からこうなのだろう。

刀剣館のデモンストレーション用の施設と違って、ここは伝統的な丸い座布団に座っての作業を行っているようだ。丸いのは何か意味があるのですかと尋ねると、頻繁に身体の向きを変えるので丸い方が良いのだという。

※5S:整理、整頓、清潔、清掃、躾(しつけ) の頭文字をとって5Sという。ここに習慣化を加えて6Sなどと言うこともあり、工場現場の改善活動などでよく唱えられる。




ここでは刀の材料として、玉鋼以外にも古い和鉄の在庫を豊富に持っていた。材料は和釘や五徳などが多いようだが、その中には少なからぬ古刀が含まれていた。よく小説などで折れた刀剣を 「鍛えなおす」 という表現があるけれども、実際には接着剤でポンという訳ではなく溶かして素材鉄からまったく新しい刀を打ち直すことになる。これらの古刀も同じで、ただし鋼としての品質がどの程度なのか不明なので、いわゆる左下(卸し)で炭素量を調整してから鍛えなおすことになる。このあたりは大鍛冶の技術で自在になんとでもできるらしい。

「和鉄は面白いですよ、何度でも蘇ります」 と刀匠さんは仰った。良質の玉鋼が流通していなかった室町時代以前、または大東亜戦争後の占領時代以降=玉鋼の在庫が先細った時代など、炭素量を自在に調整して鉄をリサイクルする技術(左下/卸し)は、刀剣界を支えるベース技術でもあった。

特に古刀期などは、玉鋼の全国流通などは望むべくもなかっただろうから、各地の刀匠は自ら卸鉄を作った。刀のバリエーションが豊富な鎌倉期から南北朝のころの名刀は、そうやって作られていた。現在は、玉鋼を使えば並みの刀匠でもそこそこの物ができる。しかし平均的に優等生なものが増えた一方で、いわゆる "傑物" とでもいうべき大当たりの一本というべきものが出にくくなったともいう。そういう意味では、今はなかなかに難しい時代であるらしい。

※写真は製作途中の素延べ~火造り段階の刀身で、古刀には非ず(^^;)




最後に炭置場を見せて頂いた。妙に細かく切ってある炭があったので 「これ、何です?」 と伺ってみたところ、焼き入れのときに使う炭だとのこと。…なるほど、用途によって同じ松炭でも色々な切り方があって、それぞれ適した条件というのがあるのだな。

…などと感心している間に、昼休みの時間は終了。そそくさと刀剣館に戻ることとした(^^;)


<つづく>