2013.04.28 木綿畑の獅子舞(その2)
■女獅子隠し
さて木綿畑の獅子舞は、関東から東北地方に多い風流獅子舞の系列である。よくテレビの正月芸能番組で出てくる神楽系の獅子舞とは異なり、獅子頭には口がパクパクと動く仕掛けはなく、自分で太鼓を持って演奏しながら舞う。三人一組で踊るのが基本(故に三匹獅子舞ともいう)で、内容は二匹の雄獅子が一匹の雌獅子を奪い合うというストーリー仕立てになっている。どうやらこれは雌獅子隠し…という演目の類型にあたるらしい。
舞を務める獅子が自前で太鼓を演奏するため、お囃子部隊は和笛専属で、これに場面に応じて謡曲が入る。見ればご年配の方より若い人が多く、こういう方々の参加があって伝統が受け継がれていることが見てとれる。
獅子頭は木彫りの豪壮な造りになっている。鬣(たてがみ)は羽根製で、あまり根掘り葉掘りは聞かなかったのだが一般的には和鶏、それも軍鶏(しゃも)の羽根を使用するらしい。黒いながらも光の当たり方によって虹色の光彩を放ち、なかなに美しい。
東北地方では古くは鹿を模していたという説もあるようだが、この集落で獅子舞奉納の始まった頃にはもう獅子の型が定着していたようで、木綿畑のものは造りとしては割とオーソドックスな系統になっているように思う。
一方こちらの赤い喉元なのが雌獅子である。獅子頭は雄獅子より一回り小さく、よくみると睫毛(まつげ)が長かったりしてちょっとばかりお茶目(?)な作りになっている。もし合コンでこんなツラ構えの娘さんと向かい合ったら筆者なら全力で後ずさりしてしまうところだが、雄獅子の眼にはこれが心ときめく絶世の美少女に映るらしい(^^;)。
その彼女とイケメン二匹は、最初は牧歌的な雰囲気で仲良く遊んでいる。
しかしやがて、雄獅子二匹が向かい合って何やら示威行動のような素振りが始まっていく。このあたりがどうやら恋の鞘当て(?)の始まりらしい。
そしてついに、激しいバトルに発展。おお、やりあってる、やりあってる…(´・ω・`)
それをひょっとこ氏が金精様を振り回しながら煽って(?)いるのが何ともアレだが(^^;)、おそらくこれは場を盛り上げる道化役なのだろう。
…それともかく、勝負は割とあっさりついて、一番雄獅子が二番雄獅子をやりこめる。説明書によるとこのシーンは 「おっちめ」 と呼ばれる懲らしめの場面になるようだ。
地方によっては一番獅子を老獅子、二番獅子を若獅子と表現するところもあり、この場面はどうやらハネっかえりの若者に年功序列を思い知らせる…という意味合いがあるらしい。このあたりは儒教的な価値観を表しているのだろうか。
しかし懲らしめはするけれども、一番獅子は二番獅子を殺したり追放したりはしない。恭順の意思を示せばそこで争いは終わりで、あっさりと許してしまう。
そしてまた仲良く三匹での遊びが再開するのである。
…が、雌獅子と遊ぶうちに雄同士の争いが再燃し、ふたたび取っ組み合いが始まる。「ハーレム王に、俺はなる…!」 …というノリかどうかは分からないが、若い二番獅子はなかなかにチャレンジャーなのである。
しかし二番獅子は、またもや負けてしまう。…嗚呼、なんという無慈悲な展開( ̄▽ ̄;)
連敗してしまった二番雄獅子(若獅子)は、やがて修行の旅に出る。己の未熟を思い知り、明日の勝利を信じて今日の屈辱に耐えるさすらいの旅路である。このあたりの展開は少年漫画の黄金パターンと被るような気がするが…しかし何でひょっとこがついていくのだ?(^^;)
ただ漫画と異なるのは、せっかく修行してパワーアップしてきたにも関わらず、3度目の戦いでもやはり二番雄獅子は一番雄獅子に負けてしまうのである(ぉぃ ^^;)
そんなわけで、結局秩序は変わりません…というオチになって3匹の関係は元に戻る。
穿った見方をすれば万世一系の治世は盤石ですヨ、という暗喩のようにも見えなくないけれども…はて、どう解釈するのが正しいのだろう(´・ω・`)
さて秩序というか序列が確定した後は、全員で輪になって大団円らしい踊りとなる。
そして奴(やっこ)氏が再び合流して全員、神前で一礼。
ゆるゆると舞いながら、神前から下がってお終いとなる。
うーん、それにしても…初めて真面目に通して見たけれども、獅子舞というのは単にピーヒャラドンドン…と能天気に踊っている訳ではなく、ナカナカに奥が深そうな気がする。今回は雰囲気を味わうことができればいいやと割り切ってあまり深く考えていないけれど、民俗学などではどういう解釈になっているのか、ちょっとばかり興味があるな(^^;)
■福餅♪
その後は、お祭りの締め括りとして一般参加者にむけて副餅が撒かれた。これも神様から幸せのおすそ分けをいただく神事の一部ということになるのだが、子供たちなどは正直なもので、獅子舞の見物などよりお菓子をキャッチするほうがよほど楽しいらしかった。村祭りにおける幸せとは、時にこういう即物的なご利益として具現化し、とてもわかりやすく示されるw
ただ神事といえどもラグビータックル式の肉弾攻撃スキルに長けた者がより幸せを享受できるという、公平なんだか理不尽なんだかよくわからない原理は存在しており、目下のところ最強なのはご年配の主婦のようであった(爆) …いやまあ、いいんだけどね(^^;)
そんなわけで筆者もなかば偶然ではあるが紅白餅を一袋だけキャッチ。…嗚呼、ささやかなる浮世の幸せよ、筆者の元にも来たれ…できれば福沢諭吉の肖像画の束のかたちで(何)
…ということで、ここで祭りは解散となった。
あまり長く引っ張ることもなく、奉納が一段落すればそこで終わりというシンプルさが潔い。スタッフ一同はおそらくこれからお酒が入って懇親会ということになるのだろうけれど、筆者は一般見物人なのでここで神社を後にすることとした。
時計をみれば午後二時半、まだまだ春のうららの昼下がりである。
…さて、それではもう少し那須野を走って春の景色の追加ステージを楽しもうかね(^^;)
<完>
■あとがき
久しぶりに地元のローカルな祭りを眺めてみましたけれども、観光路線ではない自己完結型の祭祀というのは、やはり地方色が豊かで面白いです。 この日神社に集まったのは総勢で200名にも満たないくらいの人数でしたが、ほぼ全員が地元民で、お祭りは気取ったところもなく始終なごやかに進行していました。運営も手作り感に溢れていて、かつての "村祭り" の雰囲気がよく伝わってくるようです。
市町村合併や他所からの人口流入などが重なるとなかなかこういうお祭りを伝承していくのは難しくなっていきますけれども、木綿畑は地元の地域組織がしっかりしていて若い後継者が多い印象をうけます。地味なようですけれども、こういうところに "地域力" とでもいうようなものが現れるのでしょう。
さて獅子舞というのは筆者の地元周辺ではどのくらい残っているものなんだろう…と、戯れに周辺市町村の公式HPから栃木県北部の獅子舞の分布を抽出してみたのですが(↑)、ざっとみて大田原市、那須塩原市、那須町の平野部に多く分布しているようです。
いずれも地域の鎮守となってる神社に奉納される芸能で、奉納時期は3~4月の春に集中しており、この季節なら毎週どこかでは獅子舞が奉納されている…という状況になっています。これは春の種蒔きの時期に合わせて、五穀豊穣を祈る意味合いで一斉に行われるようになったものなのかもしれません。
一方、上記地図からは外れますが、日光市の旧栗山村~今市の領域にも同系列の獅子舞が分布しています。ただしこちらは8月後半の奉納が多くなっていて、日光神領が近いためか行者や鬼神などが登場するケースもあり那須地域とは少々勝手が異なるようです。
これについては国立民族学博物館の研究報告に "三匹獅子舞の分布" という全国規模の研究結果があり、その中の栃木県の項をみると、どうやら県内では日光周辺と黒磯~那須に二大分布域があるようです。近隣県では春に行われるのは福島県中通近辺が多く、夏に行われるのは南会津の田島周辺に多いとあり、もしかすると栃木~福島の獅子舞は、東山道ルートと会津西街道ルートでグループ分けできるのかもしれません。なかなか面白いものですね…♪
<おしまい>