2016.02.06 湯西川温泉かまくら祭り(その1)




湯西川温泉でかまくら祭りを見て参りました (´・ω・`)ノ



雪祭りの季節なので湯西川温泉に出かけてみた。ここは平家落人の隠れ里として有名なところで、毎年一月後半から二月末日まで雪祭り(かまくら祭り)が開かれている。ちなみに平家伝説とかまくらには直接的な関係はないようで、純粋に冬のお楽しみイベントとして行われている。

余談ながら日本各地で行われている雪祭りは建国記念日の前後に特設イベントとして行われるものが多い。建国記念日は特に競争率が激しく日程がダブったりしてなかなか行きにくかったりするのだが、湯西川では期間中は毎週木曜日(定休日)を除く毎晩、約千基のミニかまくら(というか雪洞)に蝋燭が灯され、いつ訪れてもそれなりの夕景が見られる。つまり "この日でなければならない" という縛りがないのが特色といえる。ゆえに気が向いた時にひょいと行ける手軽さがあり、今回筆者は思い立ったが吉日…とばかりに向かってみることにしたわけだ。




この日、那須野ヶ原にはかるい積雪があった。今年は暖冬で雪が少ないながらも、ようやく寒波が到来して雪が本格化してきているらしい。平野の雪景色は先週白河~那須で堪能したので、今回は山の奥の方を眺めてみよう。



 

■ 湯西川への道




そんな訳でまずはいつもの如くJR那須塩原駅を起点に高林方面に向かい、R30 → R400 を伝いながら塩原を目指す。写真(↑)は木綿畑付近の水田地帯である。那須野ヶ原でぎりぎり雪景色がみられるのがこの山際の付近で、向こう側の鴫内山~黒滝山の稜線は雪雲のなかにある。




関谷から塩原渓谷に入って温泉街に到達。雪景色…といえば雪景色なのだが、除雪が行き届きすぎてちょっと風情的には微妙な気がしないでもない(^^;) まあ今回は塩原は通過するだけなので中心街には入らずに新R400で抜けてしまおう。

…ん? ところであそこに何かいるな。




おお申年だけにサルのパフォーマンス…(^^;) わざわざ芸を仕込まなくても綱渡りのひとつぐらい出来てしまうのか。…なんとも器用なものだなぁ。




さて尾頭峠を越え、三依に抜けるともう日光市の領域になる。いつもなら積雪1mくらいのところだが今年は20cmくらいしか雪がない。ここからはR121に乗って五十里ダムを目指す。




■ 五十里ダム




五十里ダムはほぼ全面凍結といったところだった。




ダム湖に隣接する湯西川温泉駅では、温泉街までの送迎バスがピストン輸送に忙しそうだ。ここは岩盤の中に駅があり、駅の地上部分は道の駅と繋がっている。湯西川温泉まで足を延ばす余裕のない人は道の駅で温泉に入ることも出来てしまうコンビニエンスなスポットだ。




ちなみに駅温泉(名前がないのでとりあえずそう呼んでおこう)は、湯西川温泉から遥々引湯している訳ではなく、駐車場のすぐ脇に源泉が湧くれっきとした独立温泉である。ただ "湯西川温泉駅" と一体化していることから自己主張は至極控えめで、脇役に徹しながら健気に湯西川温泉を前面プッシュしている。

筆者的には目の前にある温泉をスルーしてここから14kmあまりも奥にある湯西川温泉を目指す観光客に "灯台元暗し" を説いてみたいところだけれども、あちらには平家落人伝説の看板もあるのでステータスは比較にならない。そういう意味ではこの駅湯はちょっとばかり不憫な立ち位置にある。




湯西川温泉に向かうバスは、山間僻地の路線とは思えない混雑具合だった。聞けば会津鬼怒川線の野岩鉄道区間では湯西川温泉駅が一番利用客が多く、その利用者はほとんどが湯西川温泉に直行するのだという。




ここからは湯西川ダムの湖畔を進んでいく。ダム建設によって昔ながらの細い林道みたいな道路は湖底に沈み、今では立派な高架橋を備えた道路になった。




余談ながら旧道はダム湖を奥に進んでいくと水に沈んでいない部分を見ることができる。今では誰も通らないので除雪もされておらず、あと10年もしたら多分廃道マニアの人が喜ぶような状況になっているんじゃないだろうか。…それはそれで楽しそうだけれども(^^;)



 

■ 仲内~川田



さてかつての湯西川渓谷は今ではすっかりダム湖になってしまっている訳だが、湯西川温泉のある湯平盆地の一つ手前にも小さな盆地(川戸平)があり、川戸、仲内という小集落がある。湯西川ダムの建設によって一番大きく変わったのがおそらくここではないだろうか。




この盆地はダム建設で沈んだ集落の住民が移転して来て、今ではちょっとしたニュータウンとなっている。ビジターセンターを兼ねた "湯西川水の郷" なる観光施設もできて、急速に観光化も進んでいる。これからは遠方から訪れる観光客はまずここでバスを降りることになるのだろう。古い温泉街に入る前に、筆者もまずはここに立ち寄ってみることにしたい。
 


さて盆地の入り口付近はこんな感じで、まだ山間の僻地感をいくらか残している。筆者の知っている古い湯西川は、こんな雰囲気の山また山の連なる奥地に、こぢんまりと展開する鄙(ひな)びた温泉街だった。途中には平成の世になっても茅葺屋根の旧家が点在しており、お伽話にでも出てきそうな山村だったのである。




そこから200~300mも進むと、いきなり近代然とした道路と住宅街が出現する。湯西川ダムの建設に伴う補償として整備された区画で、観光振興策とセットで計画が進められたため反対運動もおこらず、思想の偏った変な活動家の介入もなく、移転はすんなり完了している。民主党政権のおもちゃにされて滅茶苦茶になってしまった群馬県の八ツ場ダムとはまったく対照的だ。




そしてズラーリとクルマの並ぶ広い駐車場。湯西川温泉は狭隘な谷間の集落なので昔から駐車場が足りなくて混雑していた。ひとつ手前(距離にして2km少々)にこういう収容力のあるスペースができたのはたしかに便利といえる。




ここが新しく作られた "湯西川水の郷" である。観光案内所/日帰り温泉/土産物店/レストラン/郷土資料館を兼ねた複合施設に、河畔公園と大吊り橋がセットになっている。面積で言えば "平家の里" よりもこちらのほうが広く、不勉強な観光客はここを見ただけで 「湯西川を見た」 気分になってしまうかもしれない。




複合施設となっているメインの建物はこれ。とにかくでかい。巨大水車もナニゲにポイントが高い。




こういうインパクトのある建物があると、観光客の満足度が上がると聞いたことがある。いわゆるランドマーク効果という奴で、「○○に行った」 という○○に当たるゴール地点がわかりやすいシンボリックな建物や地形であるほど強烈な印象に残って "旅行に行ったぞ感" が高まるのである。




観光振興にはこういったハッタリのセンスが意外に重要だ。企画した人はもちろん分かってやっていると思われ、施設を分散しないで一極集中したのは良い判断だと思う。




吊り橋の向こう側が雪祭りの会場の一部になっているというので覗いてみた。




…といっても、ここはファミリー向けの雪遊びスペースといった感じかな。




パンフレットをみるとメイン会場は平家の里方面とあるので、ここは支部みたいな位置づけのようだ。なお雪が少ないとはいってもかまくらを作れる程度ではあり、首都圏から来た人もとりあえず "雪国に来たぞ感" は感じられるのではないだろうか。




■ もうひとつの落人伝説 "安倍氏落人" について




ところでこの川戸地区には、平家落人伝説にそっくりのもうひとつの落人伝説がある。それは前九年の役(1051-1062)で安倍貞任が源義家(八幡太郎)に討たれたときにその落人がここに逃れてきたというものだ。話の構成は平家落人とほとんど同一といっていいもので、伝説では義家が落人狩りをしながらこの山里までやってきて、安倍氏の残党はもう二度と武士には戻らないと誓って隠遁生活に入ったことになっている。




その際に、一族に男子が生まれてそれを祝う幟を立てたために残党狩りで見つかったとか、鶏を飼っていてその鳴き声を聞きつけられたとのエピソードが入っており、平家落人伝説の別バージョンといった感じになっている。襲撃を受けた後、鯉幟を上げない、鶏を飼わないという習慣ができたというのも共通している。つまりわずか2kmあまりの距離を隔てて隣接する小盆地で、登場人物を変えただけで中身がそっくりの伝説が並び立っているわけだ。

※面白いことに川戸集落には安倍を名乗る家系が多く、古文書に登場する人名にもよく見られる。川戸以外には安倍の姓はないそうで、事の信憑性はともかく非常に興味深い。




ちなみに湯西川水の郷に隣接して釜八幡神社というのがある。古くから川戸集落の鎮守であった社で、ここにはなんと平家にとっては敵であるはずの源氏の氏神=八幡神が祀られている。伝説では武家に戻ることを諦めて帰農した際に雑穀を煮た釜を記念品として祀ったとされ、落人の助命を許した源義家(八幡太郎)にちなんで釜八幡神社と称したとされる。




ただし文献上でみるとこの付近に落ち延びてきたのが明確にわかるのは平家残党のほうで、壇ノ浦合戦の120年前にあたる前九年の役(安倍貞任が討たれた戦い)で安倍氏の一派がやってきたことを示す史料は乏しい。前九年の役は断続的に十二年ちかくダラダラと戦闘が続いたので、その間に離脱した俘囚(蝦夷)の人々が広く散ってその末端の一部がやってきた可能性は捨てきれないけれども、その経緯(いきさつ)は平家伝説と混ざり合ってしまって現在ではよくわからなくなってしまった。




しかしまあ、21世紀の川戸平は湯西川温泉郷の一部として平家落人伝説ベースで観光資源を整備している訳で、安倍貞任が真打として登場する可能性はどうやら低そうな気がする(^^;)

※念のために補足しておくと、安倍貞任+源義家の伝説は関東~東北に広く分布している昔話の定番のテーマで、平家伝説が主に西日本に流布しているのとは対称的な地域性をもっている。栃木県北部にはその両方がみられ、民俗学上の観点からもなかなかに面白い。


<つづく>