2016.02.14 大洗磯前神社で包丁式を見る ~秘儀:アンコウ吊るし切り~(その2)



 

 ■ 吊るし切り




さて観光客が徐々に増えてきた。そろそろアンコウの解体=吊るし切りの始まる時刻であるらしい。




吊るし切りはフニャフニャして切りにくいアンコウの解体方法として江戸時代に確立したものだという。ほぼ茨城県でのみ行われているそうで、アンコウ鍋のシーズンである厳冬期にのみ見られる。境内にいた人の話によると、神社の行事として行われるのは全国でもここくらいじゃないかとの話だった。…つまり筆者は、非常に珍しい場面に遭遇しているらしい。




やがて板前さんが登場して鮮やかに包丁をさばき始めた。喉元に包丁を入れると殆ど一瞬でぺろんと綺麗に皮が剥け、以降順次肝(きも)が切り分けられていく。




アンコウにはほとんど無駄になる部分がないそうで、解体された身は部位によって7種類に分けられ "七つ道具" などと呼ばれる。いま切り分けられているのは肝臓(↑)で、いわゆる "アンキモ" というやつらしい。身(肉)よりも皮とかヒレとか肝(キモ)のほうが美味しいのだそうで、特にこのアンキモが人気がある。




これはその奥にある卵巣。食用になるアンコウはほとんどがメスだそうで、産卵期(春)を控えた今頃は卵を抱えながらキモにも脂が乗るという最高の状態にあるらしい。




それにしても、切り分けながらいちいち 「これが○○で~す」 と解説してくれるのだが、神社の境内で行われているので何だか非常~にシュールな雰囲気が漂う(^^;)

筆者の居住する内陸の農村地帯では、神事と言えば穀物を供える事が多く、祈る内容も "五穀豊穣" である。それに比べると漁村では大漁や航海の安全が関心事で、神事もスプラッタ(?)な要素を含んですいぶんとフィーリングに差があるようだ。



わずか10分ほどで解体は終了。見事に頭と背骨一本を残してアンコウはスリム(?)に剥かれてしまった。




解体された皮、枝肉、肝などはこんな感じである。料亭ではもう少し小振りに切り分けられて鍋の材料になったりする。大洗の冬の観光はこれを使ったアンコウ鍋が名物で、かつては水戸藩から江戸の将軍様に献上された高級食材の代表格であったらしい。




アップで撮影すると "見る人を選ぶ写真" になってしまう気がするけれども、生物というのはこういうものなのでありのままを載せてみる。

…それにしても、これを見て思うのは、仏教と神道の考え方の差であろうか。仏教では不殺生の考えから肉や魚をタブー視するけれども、神道では "神の恵み" と考えて供え物にする。神仏混淆の時代には仏僧が宮司を兼ねたりすることもあった筈だが、いったいどうやって折り合いをつけていたのだろう。



 

■ 包丁式




少々の休憩時間を挟んで、いよいよ神事としての包丁式が始まった。




大洗磯前神社の包丁式は比較的最近始まったものだそうだが、包丁式という儀式そのものは平安時代初期(清和天皇の代)の頃まで遡る。元は宮中での調理作法で、食材に一切手を触れることなしに包丁刀と真魚箸(まなばし)のみを用いて捌(さば)いていくものだ。神事として奉納される場合は食材となる魚介類の生命に感謝と崇敬の意を捧げるという意味合いをもつ。




儀式はまずは大まな板を清めることから始まる。これは四隅に塩を配しているところで、何人もの介添人が準備を整えたのちに真打の料理人(包丁人)が登場する。いちいち作法が厳格で、結構長い(^^;)




さていよいよ登場したこの方が本日の包丁人氏。手にしている包丁は日本刀と同じ作り方をしたものだそうで、刃渡りは約一尺ほどある。

今回奉納されるのは四条流包丁道である。いくつかある流派のうち平安初期からの古い伝統をもつ流派だ。無類の料理マニアであった光孝天皇(在位884-887)が四条中納言藤原山蔭に勅命し中国の食作法の要素を取り入れて様式化したものと伝えられ、神事で奉納されることが多いという。




右手に包丁、左手に真魚箸。捌(さば)くのは大洗らしくアンコウだ。一般には包丁式で調理されるのは鯛か鯉だそうで、アンコウを用いるのは極めて珍しい。




神事なのでいちいちオーバーアクションの決めポーズが入る。これも適当にやっている訳ではなくみな決まった型があるらしい。




包丁さばきはさすがはプロフェッショナルで、するすると淀みなく進んでいく。捌いた部位は大俎板の上に並べて北斗七星をかたちづくっていく(七つ道具がそれぞれの星に対応する)。これは妙見信仰によるものだそうで、妙見様とは中国の神仙思想では天帝=北極星を指し、その配下にあって人々の吉凶を支配するのが北斗七星ということになっている。かつての坂東武士はこの妙見様を信仰する者が多く、特に千葉氏は信仰が厚かったらしい。




その星と食材を結びつけてしまうという発想がなかなか凄いけれども、まあ呪術の世界の話なので生半可な素人考察ではちょっと追いつけそうにない。これは素直にそういうものなのだと納得するようにしよう。




やがてすっかり綺麗に捌かれたアンコウ。その魂よ、安らかなれ…




さてこの日解体されたアンコウはその場でアンコウ汁として無料で振る舞われることになっていたのだが…既にたっぷり3時間近く滞在してしまっているので筆者にはもう食っている時間がない。そんな訳で、ここでそそくさと大洗を後にすることにした。

それでどこに行くのかというと…実はこの日の本来の目的は古代日本における常陸国と祀られる神々について神社巡りをする筈だったので、寄り道から本筋に戻るのである。

…ということで、今回レポートしたのはハプニングとして遭遇した神事ということで、ここまでとしておきたい。いやー、でも面白かったなぁ… ヽ(´ー`)ノ


<完>