2016.05.17 震災の熊本城を歩く(その2)




■ 熊本城を歩いてみる




さて筆者は都合15日間ほど熊本に居たのだが、1日だけ休日を貰うことが出来た。熊本に来たのは10年振りくらいになるが、ここで熊本城の周辺を歩いてみようと思う。出発点はわかりやすくJR熊本駅からとしたい。




その熊本駅は、いつの間にか 「くまモン駅」 になっていた(笑)
…JRもなかなか粋なことをするなぁ(^^;)




熊本駅と熊本城の位置関係はこんな感じである。熊本城は坪井川を直接の門前堀とし、白川と井芹川に挟まれた幅2kmほどの帯状の地区を広義の城域としていた。城下町ごと天然の堀で防御しているようなもので、その真価は築城300年後の西南戦争で発揮されるのだが話が長くなるのでそのあたりは省略しておく。




駅から熊本城までは約3km。歩いていけない距離ではないが市電で時間を稼ぎたい。まずは辛島公園+花畑公園まで行き、そこから歩くことにしよう。




■ 辛島公園+花畑公園




途中は省略して、ここは辛島公園である。実態としては南北300mほどにもなる広大な細長い公園エリアがあり、途中で町割り境界をまたぐので辛島町側が辛島公園、花畑町側が花畑公園と呼ばれている。



なぜここを経由して行こうと思ったかというと、地震対策の災害ボランティアセンターがここに開設されていて、いったいどんな活動をしているのだろうと少々興味を持ったからだ。センターは面積の広い花畑公園側作られており、目立つ赤色の幟が並んでいた。




ここはそもそもは細川時代に殿様の屋敷(城内ではなくこの付近に屋敷を建てた)があったところである。現在は公園と巨大なバスターミナルになっており、熊本各地に向かうバス路線網はここを起点としている。今回の地震対応では、そこにテントがズラーリと並んで各地からやってきたボランティアの方々に仕事を割り振って散らせ、全体の統率をはかる…ということをやっているらしい。




しかしGWの頃までは大量にいたというボランティアも、今では皆引き揚げてしまったのか本部は閑散としていた。まあこれはこれで、需要の中身が変わってきたことの表れと言えなくもない。

震災直後に彼らがやったことは数多い。まずは無数に設置された避難所の実態把握の手伝いと物資の輸送、そして損傷した家屋の屋根にブルーシートをかける作業が急務だった。空から見えた大量のブルーシートの設置に彼らが果たした役割は大きかったという。




テントには、既に引き揚げた面々の残した寄せ書きが残っていた。いちばん馬力の必要だった被災直後に活躍していたのは彼らなので、まずは 「お疲れさん」 と言いたい。

残った宿題は、一見表からは見えないところで専門家達が地道に熟(こな)している。筆者も実はその末席にいるわけだが、なかなか難問が山積して大変だ…とだけ呟(つぶや)いておこう(^^;)




■ 正門前(行幸橋)




それではいよいよ城に入ってみよう。熊本城の構造はざっとこんな(↑)感じである。明治維新後の廃城令でかつての城内は博物館、郵便局、球場、学校、病院などの公共施設に転用され、現在城郭らしい雰囲気が残っているのは天守閣を中心とした有料拝観エリアになっている。

現在の天守閣エリアの正門は行幸橋になっており、加藤清正の銅像がある。まずはここから見てみよう。




ということで、これが行幸橋(ちょうどバスが通っている部分)である。



橋のすぐ脇に、加藤清正公の銅像があった。熊本城の現役時代はその大半が細川氏の居城として存続したのだが、やはり築城主である加藤清正の存在が大きい。銅像は震災でもとくに損傷はなかったらしい。




…が、銅像のすぐ後ろ側では石垣が崩れていた。




こりゃなかなか派手だな…(´・ω・`)  とはいえ、石垣の角の部分=隅石(すみいし)の積み方が緻密なので、櫓(やぐら)全体としては崩壊を免れている。




同じ場所を横から見てみた。隅石は直方体の石を左右交互に向きを変えて積んでいくいわゆる "算木積み" になっている。石垣を頑丈に作るための工夫の一つだが、これが功を奏して全面崩壊を免れたような印象だ。




対照的に、崩れた部分は石の成形が甘く、面と面がきっちりと噛み合って石垣の重量を均等に支えていた訳ではなさそうだ。こういうところに、工事品質は現れる。そして弱いところから崩壊してしまうのだろう。




よく見るとひとつ手前の石垣も、石積みのあまり綺麗でない部分(写真中央付近)が緩んでしまっている。いったんこうなると石垣の重量は全体で均等に支え合うのではなく、特定の石の角の部分に応力が集中する形になってしまう。何度も強い揺れに見舞われているうちに、こういうところから崩壊が進んでいくのだろうなぁ…





■ 城彩苑




さてその先は…というと、天守閣方面は立ち入り禁止になっていた。うむむ。




案内図を見ると、もう立ち入り禁止空間だらけ。天守閣~加藤神社~細川亭にアプローチするルートは全面的にシャットアウトである。ただし売店区画である城彩苑と二の丸広場には入ることが出来、天守閣も見通せるというので行けるところまでは行ってみることにした。




ここが城彩苑の入り口である。昔は馬場があったところらしい。ここだけ見ると地震の影響はまったくなさそうに見えるが、それは現代の耐震基準で造られた低層の建物だからだ。




観光客はさすがに少ないが、売店は通常営業である。ここは城のイメージに合わせたつくりになっており、まあ一応は "城に来たぞ感" を味わうことができる。




おお、コスプレの人も歩いているな。特に何かのショーをやっている訳ではなさそうだが…もしかして趣味でやっているのだろうか?(^^;)




ところで売店の奥に見えている櫓はまったく壊れている様子がない。TVや新聞では熊本城は今にも崩壊しそうな報道ぶりだったのだが…。城の建物でも、場所によって壊れたり無事だったりの差が激しいのだろうか。




■ 奉行丸方面に上ってみる




城彩苑からは階段を通じて奉行丸方面に上ることができる。本来なら加藤清正像から行幸坂という坂道を経てアプローチするのが本来なのだが、現在は立ち入り禁止区域になっているのでこの裏ルートを経由していくのである。




見れば早くもアジサイが咲いていた。もうそんな季節なのだなぁ。




さてここから振り返ると飯田丸五階櫓が見えた。




望遠目いっぱいで撮ってみると…やや、ここも建物の崩壊はない。壁の漆喰には幾らかヒビが入っているものの、全体としては健全な状態にあるように見える。




さらに拡大してみた。櫓の瓦は簡単には落ちないように漆喰で固めてあり、被害らしい被害はみえない。TV報道でやっていたボロボロの天守のイメージとはかなり違う。やはり、建物によって耐震性にかなり差があるようだな。


<つづく>