2019.02.07 蔵王の樹氷と温泉の神(その2)




■ 蔵王ロープウェイ




さて温泉から戻るとぼちぼちロープウェイ乗り場に人が集まってきていた。 ……といっても人数は御覧の通りで、有名観光地である割には皆ゆったりのんびりといった感じだ。首都圏では暇を持て余したご老体が溢れかえって良スポットを占有してしまう風景が珍しくなくなったけれど、ここではそんなことはないみたいだ。誠に結構なことだと思う。




チケット売り場に並ぶと係員氏と客がなにやら問答している。 聞けば 「今年は雪が少なくて樹氷がもうピークを過ぎてしまいまして…」 だそうだ。 なにそれw

筆者の前にいた男性は 「うーっ、うーっ、…か、考えさせてっ!」 …と筆者に順番を譲って、若きウェルテルのごとく思考の輪廻にトリップしてしまった。係員氏は筆者に対しても申し訳なさそうな顔を向けてもにょもにょしている。

係員 「あのー……上のほうは暖冬で微妙な状況でして……」
筆者 「あなたのせいじゃないでしょ、とりあえず往復で!」




こういうときは悩んでも仕方がない。天の為すことに文句をつけても結果は変わらないのだから、チャンスは最大限に生かさねばなるまいヽ(´ー`)ノ




そんなわけで朝一番の便には勇者ばかりが集まった。 皆覚悟(そんなオーバーなw)は既に決まっている。 ……さてさて、いざ征かん。




筆者が乗ったのは幾筋かある蔵王ロープウェイのうち地蔵山に向かう最長ルートである。ここはストレートに山頂まで行くのではなく、途中の樹氷高原駅で乗り換えていく。

なぜ乗り換えが必要かというと、ロープウェイは構造上直線ルートを往復することしかできないので地形に合わせて二分割するほうが合理性があるのと、乗り換え部=樹氷高原駅の直下は傾斜が非常にキツくて滑走コースにしにくいので、ここで山頂から滑り降りてきたスキー客を回収してゴンドラで降ろしたほうが安全という理由による。樹氷がきれいに見られるのはこの樹氷高原駅より上の部分だ。




窓から外をみると……うーむ、たしかに雪具合というか樹氷具合は期待したような状態ではなさそうだな。

 

しかしまあ、スキーを楽しむぶんには必要十分な雪の量に見える。

ここで見えているのは温帯中低域の典型的な山景にあたる。凍り付かない程度の雪は枝が揺れると落ちてしまい、地面のみを白く染める。樹氷が形成されるには常時凍結状態が維持される程度の環境が必要で、まだこのあたりはその条件は満たしていない。




一本目のロープウェイは高低差がおよそ480m。 見下ろすと結構な俯瞰風景がみえる。 標高差だけをみると日光の中禅寺湖から男体山を登るのと同じくらいだが、途中から急斜面になるので急に視界が開けたように見える。これを徒歩で登ったら3時間くらいはかかりそうだ。




ほどなく中間にある樹氷高原駅に到着。




駅周辺の雪景はこんな感じであった。樹氷高原とはいうものの、暖冬のためか樹氷未満の着雪樹木ばかりといった感じだな。




ここから先は2本目のケーブルに乗り換えて小型ゴンドラで登っていくことになる。標高差に換算してあと350mほど。西風の当たる樹氷の成長しやすいエリアはここから上になる筈だが……はてさて。



 

■樹氷高原を行く




いくらかの順番待ちの末にゴンドラに搭乗。分厚い雪雲の中に消えていくロープウェイの軌道が静かにゴンゴンと進んでいく。 見れば奥側は木々の地色が白っぽくなっている。やはり標高の高いところでは氷が付着しているようだ。




やがてゴンドラは白い領域に入り、眼下を見下ろすと……おお、不完全ながらもアイスモンスターの成れの果てみたいなものが並んでいる。このあたりから上が、常時氷結地帯になるようだ。




標高が上がるほどに樹氷は分厚くなっていく。よしよし、その調子だ(何がw)




さてここでいくらか説明を入れておきたい。樹氷は大気中を浮遊しながら過冷却(→氷点下まで冷えているけれども凍っていない状態)になった水滴が樹木の枝葉などにぶつかって、その衝撃で一瞬のうちに氷となったものだ。

この過冷却の水滴は、冬季にシベリアから吹き寄せる季節風によってもたらされる。日本海で水分をたっぷり含んだ海風がいったん山を越えて平地に降り、ふたたび2列目の山にぶつかって越えるときに理想的な状態になるらしい。蔵王はちょうどその最適条件が揃っているという訳だ。




実をいうと筆者の地元である那須~日光の山々もその条件に近い。

第一山列=越後山脈、第二山列=那須火山帯という位置関係で、実際に樹氷もみられる。しかし中間にある南会津の一帯が山形盆地のようなきれいな船底型ではなく低山が連続する山岳地のため、水分は理想的な過冷却状態にはならず、蔵王ほどには樹氷が成長しない。このあたりの匙加減はなかなかに微妙なものがあるみたいだ。




さて高度が上がるとだんだん状態の良さそうな樹氷が増えてきた。相変わらず魚の骨っぽいテイストはあるものの、栃木でみる樹氷よりは数段立派にみえる。これで天候が良かったら言うことないんだけどな。




やがて山頂駅がみえてきた。駅舎があるのが地蔵岳、その左側のピークが三宝荒神山で、いちばん樹氷が成長しやすいのがこの付近になる。




こんな貴重な山にスキー場なんて作っちゃってよかったのか……という突っ込みどころはまあ幾分かはありそうだけれども、実のところ樹氷に観光価値が見いだされたのはごく最近のことだ。大正時代までは見向きもされず、むしろスキー場が出来てから観光資源としての注目度が上がった感がある。 ミもフタもない言い方になるが、保護といっても夏場には樹が生えているだけで、樹氷は気象現象であるから 「保護って何するの?」 という素朴なツッコミに明瞭な回答は見いだされていない。




さて蘊蓄(うんちく)はともかく、山頂駅に到着した。
駅舎内はカチンコチンに凍結している。気温は氷点下10℃。冷凍庫並みだな。



 

■地蔵岳山頂を望む




さっそく駅舎の外に出てみた。ここは標高1661m、風が強い吹き曝(さら)しの尾根だ。ごうごうと風が鳴り、雲の流れも速い。ロープウェイという文明の利器がなければ、この季節にお気楽な観光客が上ってくるなどあり得ないだろう。




見れば木々に限らずそこらへんの金属柵やロープにまで樹氷が成長している。 こういう成長途上の結晶は俗に 「海老の尻尾」 などと言われる。那須や日光の山々で見られるのはこういう樹氷だ。




さて周囲を見渡すと、樹氷はチケット売り場の係員氏が言うほどには悪くなかった。筆者的にはまずまず、後悔しない程度の景色のように思える。ちゃんとしたアイスモンスターじゃないか。

そういえばチケットを買うべきか買わざるべきか悩んでいた先客氏は結局決断したのだろうか。こんな状態でも筆者は登ってきた甲斐があったと思うぞ。




さて駅を降りた観光客は主に3つのグループに分かれる。

ひとつは山頂付近を散策して樹氷だけ眺めて降りていく軟弱者グループで、人数的には最も多く筆者もそのうちの一人である(ぉぃ^^;)。次に多いのがスキー、スノボをする人で、こちらは樹氷コースを滑り降りていく。




そして最も少ないながら果敢なる闘魂?をみせるのが、蔵王連峰の最高峰:熊野岳を目指す冬登山グループだ。駅舎から神社までは3kmほど。まず地蔵岳山頂に登り、そこから尾根伝いに歩くことになる。




蔵王の山々はいくつものローカルピークの集合体で、それぞれのピークの起伏差はそれほど極端ではない。だからいったん山塊にのぼってしまえば丘の集合体みたいな風景にみえるのだが、季節風が吹き抜けていく脊梁山脈の頂上でもあるので、あまり油断はしないほうがいい。




■ 蔵王権現の話




ここでいくらか蔵王権現の話をしておきたい。

蔵王山の名の由来となった蔵王権現は奈良県の吉野山中に現れたとされる仏で、大陸に起源をもたない日本独自の仏である。伝承では飛鳥時代(7世紀後半)、修験道の祖とされる役小角(えんのおづぬ)が山中で修行をしていたところに姿を現したと伝えられる。



その姿は密教によくみられる憤怒の形相で、躍動感溢れる姿は仏様というよりはヘヴィメタルバンドのパフォーマンス兄ちゃん風……といったほうが相応しい(なんだその例えはw)。

この仏様が出現した飛鳥時代は、仏教は伝わっていたものの系統だった教義はまだ整理されておらず、日本古来の神々と混ざり合って混沌としていた。

そのよくわからない混沌から生まれたハイブリッド宗教が修験道で、現代の感覚では空海の興した真言宗の亜流みたいなとらえ方があるけれども、順序としては空海より遙かに古い。この信仰は吉野~熊野あたりの紀伊半島の山々に根付いて、空海の百年以上昔から一定の宗教圏を形成していた。

※写真はWikipediaのフリー素材を引用




そんな混沌とした信仰が、朝廷の支配が東北地方に及ぶにつれて 「飛び火」 した。

彼らは現在の会津地方のあたりにまず勢力圏を築き、そこから無数の行者が群がり北へ北へと浸透していった。伝承によれば大化改新(645)のころにはもう蔵王権現が勧請されていたというから、伝播の時期は相当に早い。その権現様の名にちなんで、この山塊は蔵王山の名を纏うことになった。



彼らが厳冬期に樹氷を見たかといえば、おそらく見たであろう。修験者は超人的な呪力を身に着けるために、わざわざ厳冬期に雪山に登って越冬する晦日山伏なる修行を行うことがある。アイスモンスターにまで成長した樹氷を古い言葉で "雪ノ坊" と呼ぶそうだが、これはその名残のようなものといえる。

※ちなみに修験の山は初雪の頃になると "山仕舞い" の儀式を行って一般人の入山を規制する。雪ノ坊をみることが出来たのは、マタギなどの猟師を除けば冬山に慣れたベテランの修験者であった。


<つづく>