■2005.11.19 晩秋の奥州街道を行く(その3)








さて伊王野城址のてっぺんから、大田原方面を望む。関東平野が終わり、那須と八溝をつなぐ低い山々の間を縫うように小さな盆地が点在する。




土塁以外に建物はないものの、城址には多数の石仏が並んでいた。これは千手観音だろうか。風化の具合から見て時代は江戸期より前ということは無いだろう。




足元をみると四国霊場、讃岐弥谷寺と書いてある。 聞けば点在する石仏は四国八十八霊場に対応しているという。弥谷寺の御本尊は千手観音なのでたしかに合っている。

那須で四国霊場というと地理的に遠すぎて奇異に聞こえるかもしれない。しかし黒羽藩主は(名目だけとはいえ)土佐守の官位を持っていたので、その縁で石仏が建立されたのであれば理屈は通るのである。既に城としては機能していない土塁だけの城址でも、霊場としては機能するらしい。面白いものだな。




それにしても、本当にここは誰もいないな……静かすぎて怖くなるぞ(笑)




■芦野




伊王野を過ぎると、すぐに芦野に到着する。旧芦野宿の集落はR294から分岐した三日月湖のような旧道筋にある。もちろんかつてはこちらのほうが本道で、自動車道路を拡充するときに集落から少しそれたところに広い道を通したのが現在のR294ということになる。




こういう三日月湖状に取り残された集落には、かつての情緒がよく保存されている。




芦野の特徴は、通りに面した家々にみな屋号があり、かつ自前の灯篭を立てていることにある。ただ灯篭の照明としての出力は弱いため、せっかく日が暮れて宿場情緒を味わおうと思っても、街灯の明かりのほうが強烈すぎていまいち目立たない。気がつかないと素通りしてしまうかもしれないのが難点といえば難点か。

残念ながら本日はその灯篭の点灯まで待っている時間はない。ここは先を急ごう。というか、やっぱり蕎麦を食ってた時間は惜しかったな(笑)



 

■泉田の一里塚




さて芦野を過ぎ、R294に再合流して北上を続けると・・・




泉田の一里塚を通り過ぎる。ちょうど地元有志によって草刈りが行われた後のようで、塚の形状がよくわかる。 一見地味な維持活動だが塚などというものはただの盛り土であるから、放っておくと草木に埋もれてしまう。メンテナンスが為されているのは良いことだ。




ここは奥州街道において関東側の最後の一里塚であった。ここを過ぎれば 奥州と関東の境界=境明神まではおよそ3km、徒歩で40分程度で到着できる。ちなみに芦野宿から奥州国境を目指すとちょうど10kmで、徒歩で2時間くらいの距離になる。




その一里塚を過ぎると周囲は鬱蒼とした木々ばかりになり、だんだん寂しくなってくる。もう栃木県の北端、最果てに近い。


<つづく>