2007.04.21 消え行く史跡 ~埼玉飛行場跡地~(その1)




昨年一度特集した埼玉飛行場跡地ですが、造成工事によって格納庫跡付近の建物跡の一部が撤去されてしまいました。今回は記録の意味も込めて情報をアップ致します。




これが 2007.04.21 の状況。もうきれいさっぱり整地されて跡形もない。




今回整地されてしまったのは↑のオレンジ色の区画である。前回の報告では落下傘講堂か?と書いていた建物の土台跡は、その後の調査でどうやら第1格納庫跡らしいことがわかった。那須の太平洋戦争(下野新聞社)に当時の守衛長の書いた建物配置図があり参考になった。この本は非常に史料価値が高いので興味のある方はぜひとも一読をお奨めしたい。

・・・が、もう格納庫の痕跡はカメラの中にしかないのだよなぁ。




■ 2006.11.11 の調査




さてすこし話はさかのぼる。昨年(2006年)の11月11日。雨の中クルマを流していて、整地工事が始まったことに気がついたのだった。




雑木林だった同区画から樹木が撤去され、しばらく売地となっていたが買い手はつかなかったらしい。今回はさらにお金をかけて整地し、売地としての価値を高めようということらしかった。もちろん人様の土地でもあり、筆者にその是非についてどうこうする権利などはない。「あ~、ついにやっちゃうのか」 と思うのみである。




興味の無い人にはただの駐車スペースのようにしか見えない一角。 しかしここはかつて九十九式爆撃機等の格納されたと思われる格納庫跡だ。ちょうどクルマの停まっているあたりにコンクリート床面が残っている。写真手前側が滑走路にむいた面になる。




同じ場所をアングルを変えて撮ってみた。写真右側が格納庫の出口付近、左右に伸びるコンクリートの土台は扉の戸袋のような構造跡だろうか。




格納庫奥側には比較的明瞭なコンクリートの土台構造が残る。ここから先の部分は残念ながら団地に造成されてしまってどのように続いていたかはわからない。




区画は既に2/3ほどが掘り返されていた…ように見えたのだが、よく見ると他所から土砂を持ってきて地盛りしようとしているらしい。




同じ場所を掘り返したならかつての遺構の破片が出てきてもよさそうだが、盛土ではあまり意味のある考察は無理かな。




こちらは飛行場のメインストリート。よくみるとマンホールが非常に古そうな様相で半分アスファルトに埋まっている。普通は 「○○市」 などと自治体名が入りそうなものだが、何も表記がないのっぺらぼう仕様である。基地時代のものか戦後つくられたものかはわからない。




通りを挟んだ反対側は今回の造成とは無関係らしい。ここのロータリー?跡のような円形構造物はいまのところ掘り返されるところはなさそうだ。


<つづく>