2007.06.28
沖縄紀行:琉球八社を巡る -1日目ー (その1)




MAXチャージ状態の有給休暇の消化を兼ねて、本州より一足先に梅雨明けした沖縄をふらりと旅して参りました。少々長くなりますが、前編/後編に分けてレポートいたします。

■旅立ち


梅雨空でどんよりした空模様の関東を尻目に、6月21日に沖縄地方が梅雨明けとなった。そんなわけでまた南国を歩いてみることにした。前回は本島西海岸から本部方面をミーハーに訪ねたが、そこで神道風の注連縄が見られたり、キリスト教とも仏教ともちがう沖縄の土着信仰の片鱗のようなものがあっておもしろく感じられた。かつての琉球王国は中国風の文化を誇ったが、信仰のうえではどうも日本の神道に近いらしい。

今回はそのあたりをもう少し深く見てみようと思い、ミーハー度をやや下げて琉球八社を巡ってみることにした。無理やりタイトルをつけるとすれば 「沖縄の信仰と心を巡る旅」 とでもしたいところだけれど、内実は単なる古社のハシゴであって、一介の旅人として単に古びた雰囲気を味わってマターリする・・・という程度のいい加減なものである(笑)

また、古社巡りだけでは少々地味過ぎるので、写真サイトらしく慶良間諸島の青い海を見てくる日程も組み込んだ。今回は4日間の日程があるので多少の余裕はある。スケジュールは大雑把でいい。とにかく出かけてみよう。

【今回の旅程
1日目:沖宮 / 波上宮 / 護国神社 /南部戦跡
2日目:慶良間諸島 / 渡嘉敷島 / 天久宮
3日目:安里八幡宮 / 識名宮 / 末吉宮 / 普天間宮 / 金武宮
4日目:玉泉洞(ここだけミーハーだな ^^;)




さてここで基礎知識として琉球八社について触れておきたい。沖縄に日本の神道が伝わったのは14~15世紀の頃といわれる。沖縄は農耕社会に移行したのが12世紀と遅く、統一王朝(第一次尚氏王朝)が出現したのがようやく15世紀初頭である。その12世紀から15世紀のわずか300年の期間に、本土に例えれば弥生時代から南蛮貿易時代に至るほどの劇的な発展を遂げている。

日本神道が伝わったのはその大航海時代の走りの頃のことだ。15世紀、昔は島であった那覇を沖縄本島とつなぐ長虹堤の建設が難工事であったことから、尚泰久王が日本から天照大神を勧請したことに始まるという。最初の神道式の神社は長寿宮といい、それに次いで整備されたのが後に琉球八社と呼ばれる神社群である。沖縄の古い信仰の形を残すシンボリックな古社であり、今回はこれらをゆるゆると巡ってみようというわけである。

※神道伝来については日本本土の真言宗の影響が大きく、その真言宗の伝来は14世紀まで遡れることから、神社の起源ももう少し遡れる可能性がある。長寿宮は王宮の保護を受けた神社の第一号と理解したほうがよいかもしれない。




途中の移動状況はすっぱりと省略したい。 というのも今回は飛行機が超満席で窓際席が確保できず、結局航空写真は撮れなかったからだ。この時期の沖縄は、国内でほぼ唯一の梅雨明けしている地域にあたる。だから平日移動であっても観光客は非常に多いのだ。




そして到着した那覇空港。
おお、やはり空と海の色が違う・・・♪





那覇空港は軍民共用なので空自のF4などが見られる。今回の旅は軍オタ路線ではないので深くは突っ込まないけれど、好きな人にはたまらないだろうな。



 

■まずは移動の足をGET




ゲートを通って空港の外に出たのは午後2時少し前であった。さっそくレンタカー屋のピックアップバスに乗って営業所に移動する。




すると、なんと営業所の隣にさっそく琉球八社のひとつ沖宮(おきのぐう)の入り口案内があった。 おおやはり良い立地のところにあるんだな。ここは奥武山公園の名称で多目的なイベントやスポーツが開催できる総合公園となっている。




さて半日未満の初日の行程はざっとこんな(↑)状況である。当初はHit&Away式に南部戦跡を回ろうかと思っていたのだけれど、いきなりスタート地点が沖宮なのでここから始めることにした。

同じ奥武山公園内にある護国神社も巡り、平和祈念公園で戦後の "沖縄の心" に大きな影響を与えたであろう南部戦跡の状況を見直して、時間があれば引き返してきて波上宮を尋ねるというものだ。・・・結構ハードなスケジュールだな。




そんなわけでまずはニッポンレンタカーで本日の足:HONDA FitをGET。 さあ即席の戦友(とも)よ、いざ往かん沖縄の旅へ・・・!

・・・って、最初の行き先は隣の奥武山公園なんだけどな(笑)


<つづく>