2007.06.29
沖縄紀行:琉球八社を巡る -2日目ー (その6)




■ 沖縄国定海洋公園(おきなわこくていかいようこうえん)




とりあえず目的の2つのビーチを制覇したので、そのまま島の南端を目指した。

もはやここは r186 ではなくただの林道である。クルマはようやく小型車がすれ違うことができる程度。……しかしそもそも対向車は来ないので、いたってのんびりとしたものである。




南端を目指すのに特に意味はない。筆者は 「端っこ」 を見ると極めたくなるという、ただそれだけである。実は手持ちの地図には何も書いていなかったので、小さな展望台くらいはあるだろうというつもりだった。




ところが、割とちゃんとした整備がされていて、誰も駐車していないけれど駐車場と回頭スペース、さらには展望台に休憩所に散策路までが整備されていた。




慶良間諸島はそのほぼ全域が国定海洋公園に指定されている。ここは渡嘉敷島の最南端部分を "阿波連園地" として公園として整備したものらしい。案内板には平成18年2月とあるから、完成してからまだ1年ちょいというところか。どうりで地図にも載っていない訳だ・・・。

幸いなことに、バブル時代のような過剰な施設はない。建物は休憩所にトイレくらい。駐車場には他のクルマもなく、無人の休憩所が静かに潮風に吹かれていた。




さて来たからには散策路を進んでみよう。




駐車場から200mくらいのところに展望台があった。小高い丘の上にあるのだけれど、頂上部分は避けて10mほど引っ込んだところに展望台は設置されていた。整備はするけれど頂上の景観は残そうという配慮が感じられるあたり、なかなか気の利いた設計者だな。




その頂上から浦の海方面を眺める。正直なところ、引き潮タイムであるのが惜しい・・・! 潮が満ちてくれば珊瑚の広がるコバルトブルーの海が見られそうなのに。




遙か東方には、沖縄本島が見える。沖縄とは、遠くから見ると縄のように長く連なる島……の意だったかな。琉球国を明治政府が取り込むときに支配権を明確に示すために名称を変えたのだけれど、当時の清(中国)はそれを承認せず、日清戦争でケリがつくまでゴタゴタが続いた。

といっても、下関条約が交わされても表立って文句を言うのを控えただけで清は沖縄の日本帰属について明確に承認したわけではなく、現在の中華人民共和国も実はその立場は変わっていない。

この認識を持って地図を眺めるかどうかで、現在尖閣諸島(表向き)を狙っている中国の意図を読み解くことができる。こんな国に技術を渡し、工場を建てまくって富を与えつづけている経団連は、いつか経済規模で追い抜かされて手痛いしっぺ返しをくらいそうだが……はてさて。




見れば、まだ先があるようだ。




猛烈に熱いので干からびそうなのだけれど、歩いてみよう。




照りつける太陽の下、独り島道(しまみち)を往く。

こういう、邪魔する者のいない時間は、いい。




何のためにわざわざ日常の時間を割き、費用をかけて遠くに行くのか。

それは、たぶん時計で測ればほんの数分ほどの、こんな時間を過ごすためなのさ。




岬の突端に着いた。




この先は東シナ海の真っ青な海原が広がっている。ん~眺めは最高だね。




崖下には広々とした珊瑚礁がひろがっていた。
開発の進んだ沖縄本島からわずか30kmで、こんな手付かずの海が残っているんだなぁ。




マターリヽ(´ー`)ノ




岬の右岸側には、狭い海峡を隔ててウン島が並ぶ。しかし残念ながら船でなければあそこには渡れない。道はここまでである。

とりあえず渡嘉敷島の南端まで制覇したので、ここで帰投フェーズに移ることとした。




駐車場に戻りがてら、休憩所の赤瓦の屋根を撮ってみた。

誰が見ても 「ああ沖縄だね」 と認識される赤瓦と漆喰の屋根。「アイデンティティ」 なんて横文字を持ち出すまでもなく、こういう要素をもった文化は、つよい。




願わくば筆者にも何か独自の特徴なり才能があれば良いのだが……
まだまだ、修行が足りないようだ。 精進しよう(笑)

<つづく>