2008.07.27 富士山:五合目までヌルいアタック (その3)
■小御岳神社
また周囲が霧に覆われてきた。我が家の天の声は 「この天気では登山道を登りたくない」 などと言い出しているので、とりあえず小御岳神社に参拝して様子をみることにした。
小御岳とは現在の富士山が出来る以前にあった古い山体で、その裾野の上に新富士山が成長したために、現在では富士山の中腹にチョコンとふくらみがみえる程度の山容となっている。富士山の山梨県側の五合目拠点が、ちょうどこの小御岳の頂上にあたっている。
さて小御岳神社の入り口は↑こんな感じである。今では売店と売店に挟まれた窮屈な参道になっているが、そもそもこのエリアの中心施設はこの神社だった。
神社と吉田口登山道、小御岳(神社)、富士スカイラインの関係を立体図にしてみると、その関係がよくわかる。富士山山頂を神域とする浅間神社の登山道(=参道)は2本あり、ひとつは静岡県側の富士宮市、そうしてもうひとつが山梨県側の富士吉田市に降りている。浅間神社の里宮は富士宮側/富士吉田市側の双方にあり、本宮は富士宮市側となっている。小御岳はこの壮大な規模の神域の一方=吉田口登山道から2kmほど脇道にそれた位置にあり、もともとはマイナースポットだった。
それが近年、富士スカイラインの終点となったことで猛烈に開発され、今では年間20万人を越える登山客が集中するようになった。どうも神聖なるオリジナルの登山道(参道)を分断しない形で車道を通すルートが決められ、参道に合流するためのほど良く離れた拠点としてここがスカイラインの終端に選ばれたように思えるが、建設の経緯についてはよくわからないのでここでは断定は避けておこう。
さてわずかばかりの参道を進んで拝殿に至る。厳しい環境のためかかなりゴツいつくりの建物だな。
富士山の山頂を占める浅間神社の祭神が木花咲耶姫(このはなさくやひめ)なのに対し、小御岳山頂を占める小御岳神社の祭神はその姉の磐長姫(いわながひめ)である。ともに古い神で、天孫降臨以前から地上を支配していた国津神のひとり、山の神=大山津見神の娘である。
記紀神話では二人とも降臨した天孫=ニニギの元に嫁いだことになっている(※神話世界は一夫多妻制なので特に問題にはならない)。しかし神話においてニニギ神は容姿の美しい妹の木花咲耶姫だけを娶り、磐長姫は親元に返してしまった。岩のような永遠性の属性をもつ磐長姫を受け入れなかったことで、ニニギの子孫=その後の天皇につづく天孫の血統は神のような長寿性を失って短命になった……と、日本書紀には記されている。
ところで今でこそ富士山の主神の座を占めている木花咲耶姫だが、実は富士講の隆盛以前の祭神が木花咲耶姫だったのか磐長姫だったのか(或いは別の何かだったのか)については良くわかっていない。
第11代垂仁天皇の頃(記紀神話の通りなら紀元前37年頃)にはじめて富士山の神霊として祀られたのは浅間大神で、その後いくらかの紆余曲折があってそれが木花咲耶姫と同一視されるようになっていったようだ。
その間、およびそれ以降もつねに一段下がったところにあった小御岳神社が、モータリゼーションをきっかけに勢いを取り戻しつつあるように見えるのは時代の変遷を写しているようで何とも面白い。 クルマでやってくる人々にとっては、今やここが富士山の正面玄関になってしまっている。
※ちなみに霊峰富士の管轄権に決定的な影響力を持ったのは徳川家治(第10代将軍)で、安永8年(1777)に8合目以上を浅間神社に寄進している。
さて拝殿の脇には末社として日本武尊(やまとたける)社があった。日本武尊は垂仁天皇の皇子にして記紀神話のヒーローである。富士山との関係は、東国遠征の際に現在の焼津付近の草原で火責めに遭った際に浅間大神に加護を祈ったとされるところにあるらしい。このとき草を払った剣が、のちに三種の神器のひとつとなる天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)=草薙の剣である。
本来なら日本神話のメインストリームに絡む壮大な物語なのだが、残念ながら観光客の人々は素通りしていく。話の内容より見た目のインパクトが重要みたいだな(笑)
ついでながら、御神体らしい鏡の受け台が富士山を象ったものになっていて面白かった。 これをデザインした人には何やらセンスを感じる。
■登山道
さて天候はなんとも不純…いや不順なままである。天の声はお土産を物色するのに急がしそうなので、時間を区切って筆者だけ登山道の入り口付近を瞬間取材して引き返すことにした。せっかく日本を代表する山に来たのに駐車場脇の売店で土産だけ買って満足できてしまう心理構造ってナニ?的な疑問はあるものの、ファミリー旅行なので無理もいえない。
さて時間がないので急いで Hit & Away と行こう。ここが登山道の入り口である。人の流れをみると、降りてくる人7割に登る人3割といったところのようだ。昨夜麓から見た山小屋の明かりで過ごした登山者が、頂上を極めて降りてきたと思えばいいのだろうか。
遠景にみえるのは甲斐の山々…。ゆっくりと堪能したいところだけれど、時間がないのでダッシュで進む。
ここで、あーーーっ、そんな手があったのかーーーっ、と指差してしまったウマーな馬車。 登山道とは言ってもこのあたりはまだまだ平坦なのでこんな移動手段もOKということらしい。それにしてもここは至れり尽くせりだなぁ、ホントに。
本来の登山道である吉田口ルートに向かって、道はほぼ水平に続いている。森林限界ぎりぎりなので高木はなく、視界は良好である。
眼下にどどーんと広がるのは、自衛隊の演習場らしい。牧場にしては雰囲気が妙だなーと思ったのだけれど、ここで戦車やロケットランチャーを撃ちまくってズドドドーンと訓練するわけだ。これだけ見晴らしが良いと、一斉射撃訓練などを上から俯瞰すれば壮観な絵が撮れそうだな。
東側に目を移すと、今朝方出発してきた山中湖が見えた。
これは河口湖。それにしても、富士五湖地方というのは本当に水の周辺にのみ市街地が密集していることがわかる。
一方こちらは足元に広がる火山礫の斜面。踏み固められた登山道からすこしでも外れると、ザラザラと崩れやすい礫砂が広がっている。溶岩の風化したものが上から落ちてきているような感じだ。
砂礫の落ち行く先には樹海が広がっている。独立峰からの眺望はすべからく "見下ろす構図" になるのでかなり壮観な景色といえる。あまり何度も繰り返すのもアレだけれど、おい我が家の天の声よ、こういう素晴らしい景色を見ないで土産物だけ物色して満足してしまうというのは何か間違っていると思うぞ。
さてそんなこんなで1kmほども進んできたが、そろそろ引き返さないといけない。
6合目くらいまでは行きたかったなぁ…と思いつつも、ここで帰投フェーズに入ることにした。いやーホント、もったいない。
いつかは極めてみたいものだなぁ…あのてっぺん。
…ということで、かなり尻切れトンボなレポートではあるけれど、この辺で完結です。
<完>
■あとがき
まあ家族サービスということもあってツッコミ具合にやや欠けるレポートではありますが、ひとまず5合目までは行ってきたよという内容で書いてみました。天の声の煮え切らなさ具合が何ともアレなところはありますが、一般ピープルのミーハー旅行なんてこんなものだといえばこんなものかも知れず、女房子供に聞いてみたところそれなりに満足して終わったようなのでまあ良しと致しましょう。
旅行の愉しみ方には 「これが正解」 というものがある訳ではなく、ミーハーはミーハーなりの楽しみ方をするし、おそらく大部分の観光産業はそういう客層を相手にビジネスをしています。そもそも、研究者でもなければ何かテーマを決めて旅行の計画を立てるより 「何か面白そうなところない?」 とか言いながら旅行雑誌やネット情報をナナメ読みしている人のほうが割合としては多い筈で、そういう一般的な観光客の行動を一概に否定するわけにはいきません。
しかしこれが撮影旅行メインとなると、ミーハー同行者の存在は実に鬱陶しい(笑)。やはり花鳥風月を愛でるためには趣味の合う者同士 or 単独旅程が一番、というのが結論ということになりそうです。いやはや。
<おしまい>