2009.02.14 大内宿:雪祭り(その2)




■御神火戴火




蕎麦を食っている間に日が暮れて、少ない雪をかきあつめて作ったオブジェに灯がともされた。暖冬とはいってもやはりコレがあるのとないのとでは気分がずいぶん違ってくる。




まもなく高倉神社では戴火の神事が始まる旨のアナウンスがあった。時刻は午後6時……この時間まで集落に残っているのは間違いなくこの儀式を見る目的で来ている観光客だ。皆それぞれの思惑でベストと思われる場所に陣取り始めている。

筆者はこの神事は初めてみるのでどこをどう撮ってみればよいのか良く分からない。そこでひとまず鳥居の正面に陣取ることにした。1.5mほどに雪を積み上げた足場があったのでその上で先行の数人のカメラマンと方を並べて雑談しながら時を待つ。




一般客もそろそろ鳥居周辺に集まってきた。年季の入ったカメラおやじ氏の話によると、どうやらこの鳥居正面というのはかなり良いポジションらしい。




やがて高倉神社での神事を終えて、御神火を松明に灯した地元の若衆が現れた。高倉神社の祭神は高倉宮=以仁王(もちひとおう)である。以前塩原温泉の源平合戦に絡んだ項で紹介したことがあるのだが、治承の乱(源氏の蜂起→平家滅亡まで)の緒戦=宇治の戦いで敗れた後白河天皇の第二皇子で、彼の発した平家討伐令がのちに各地で源氏の蜂起を促すことになっていく。

この大内宿付近には、史実としては宇治で討ち取られたことになっているその以仁王が落ち延びてきて潜んだという言い伝えがある。村社の祭神として高倉宮=以仁王が祀られているのにはそのような文脈によるものらしい。



同じ会津街道沿いの塩原温泉には、以仁王と行動を共にしてやはり宇治の合戦で戦死した源頼政(源三位)の一族郎党が落ち延びてきという伝説が残っている。

塩原側には以仁王の縁者がやってきたとの記録はないが、大内宿の伝承と対比させて考えると、雑多な落人の一群が適当に散らばりながら奥州 (当時は朝廷から半独立状態にあり簡単には手出しできない)を目指して下っていった様子が垣間見えて面白い。まあ話半分としても伝説の骨格となったエピソードに共通性/連続性がみられるというのは貴重である。

※落人はそもそも権力者側から逃げる立場なので "私はここに居るぞー" と大声で吹聴する筈もなく、はっきりとした足跡が残らないのはまあ仕方がない




さてやがて参道も途中まで来ると、若衆たちは走り始めた。辺りはすっかり闇に沈んでおり、余計な照明も無く、松明の明かりだけが赤々とその姿を映し出す。




男達はそのまま鳥居をくぐって集落内に駆け込んでいく。このまま宿場の北端から南端までおよそ400mほどの距離を往復し、各戸の灯篭に御神火を灯していくのである。




まずは北側まで進み、反転して南端側に…結構早足でスタタタ…と過ぎていくので追いかけるのは大変だ。 さすがにずっと一緒に走っていくわけにもいかないので、ここはゴールに先回りして待つことにしよう。




ゴール地点は宿場の中心地、陣屋前である。松明を迎え受けるべく、暗がりのなかで太鼓の演奏が続いている。雪の舞台の両端に立っているのは写真ではよく見えないが猿田彦だ。パンピーな人たちは 「天狗だー」 などと言っているが、厳密には天狗と猿田彦は違う。天狗は "天駆ける狗(いぬ)" が祖といわれ、古代では飛翔する魔物をさす一般的な呼び名だった。それが中世以降に赤ら顔に長鼻の猿田彦(こちらは記紀神話に登場する)と習合し、現在ひろく知られている天狗像につながっていく。

なぜ大内宿の祭りに猿田彦が登場するのか、残念ながら筆者は下調べが不十分で自信をもって書くことができない。ただ街道筋の宿場なので、道祖神としての猿田彦がここに登場しているのだろうな…と勝手に推測してみた。




やがて仕事を終えた若衆たちがやってきて整列し、本陣に松明を届けた。神事としてはこれで終了で、若衆たちは一礼して拍手を受けていた。筆者的にはここでポリネシアンショーのような炎の舞なんかがあると燃えるのだが…さすがにその展開はなかった。




点火されたかがり火に照らされる猿田彦。雪祭り実行委員らしい人が 「どうぞ御自由に撮影ください」 とアナウンスすると、カメラを抱えた観光客がどっと前に進んでシャッターを切り始めた。…できればもう少しかがり火との距離をうまく絵になる配置にして欲しいところだけれど、ご本人は火で焙(あぶ)られるのが熱いようで、中の人も大変なようだ。



 こちらはもう一人別の方の猿田彦氏。こうしてみるとやはり絵的にインパクトがあるなぁ。ちなみに手にしているのは古い形の矛(ほこ)である。時代区分としては弥生時代に伝来した青銅の武器にまで遡るが、実用性で槍や薙刀に取って代わられた後も祭具として残った。矛の文化圏は九州が中心で、本来東北地方は含まれない。

猿田彦が矛を持っているのは天孫降臨の伝説で邇邇芸命(ニニギノミコト)の矛を宇津女命(ウズメノミコト)を通じて受け取り、高千穂までの道案内をしたことに由来する。この道案内のエピソードが道祖神としての猿田彦信仰の起源なのだが、それが巡り巡ってこの東北の宿場に根付いているというのが民間信仰というか民俗のおもしろいところといえる。なにしろ雪を知らない地方出身の神が、雪祭りで仁王立ちしているのだから…




■花火




やがてドーンと音がした。
見上げると、本日最後のイベント=花火大会が始まったようだ。



陣屋からみる花火もなかなかオツなものだなぁ…などと思うのも束の間、打ち上げ高度の低いものは屋根が邪魔で見えないのが結構あることに気づいた。うーん…やはり祭りの撮影に "万能のポジション" というのは無いか。

…とはいえ、ひとまず目的の御神火戴火は見られたので、ここは焦らずゆっくりと雰囲気を楽しむことにしよう。




ドーン、ドーン・・・と打ちあがる花火を眺めながら、ゆっくりと鳥居方面に移動してみた。やはりこの参道付近からみるのが一番障害物が少なくていい。

各地の "雪祭り" で花火を打ち上げるのは、筆者のいいかげんな記憶によれば長野五輪のあたりから顕著になってきた傾向のように思う。海外のスポーツイベントでは季節に関係なくバンバン打ち上げているのでそれが逆輸入されたらしい。




打ち上げは10数分ほど続き、ひときわ大きな3尺玉?がドォォーンと花開いて終了した。 この迫力は凄い。 雪国では雪雲より低い位置で花火を爆発させないと鑑賞に耐えないので、夏祭りよりも地上に近い所でドカンとやることが多い。結果として至近距離で花火を見ることになるのだ。




花火が終わったところで、本日分の終了のアナウンスが流れ、見物客はめいめいに引き上げ始めた。祭りは明日も続くが、ここにはいわゆる夜店はなく、宿泊客が宿に入ってしまえば静寂な冬の闇だけが残る。

24時間動き続けるのが当たり前の都市部と異なり、ここはハレとケの境目が明瞭だ。筆者もその掟に従い、引き上げることにしよう。出来れば雪の豊富な季節に、また。


【完】




■あとがき




筆者は日帰りなので往路と同じコースで帰投したのですが、途中那須-甲子道路から白河の夜景を見てみました。冬の那須は風がつよく峠も猛烈な横風で、これがいわゆる那須降ろしとなって那須野ヶ原に吹き降ろしていきます。

立っていることもままならない風の中、なんとか1枚撮ってみたのがこの写真になります。見下ろす夜景で特徴的なのは、街の光というよりも周囲の闇の深さでしょうか。人の支配するエリアというのは案外狭いものなんだな…というのが、率直な感想でした。

<おしまい>