2010.01.30 草津温泉(その4)




■2日目




さて翌朝…。やうやう白くなりゆく山ぎは少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる…という程の景観ではないが、天気は上々なのであった。安い部屋なので白根山の眺望が無いのがアレだが、先立つものが無いのでこれはこれで仕方が無い。




ホテル最上階の展望レストランで朝飯を食いながら外を眺めると、雪を頂いた山がデンと鎮座しているのがみえる。あれが白根山…でいいのかな?

旅と写真サイトのくせに少々迂闊(うかつ)だったのだが、実は草津温泉街からは白根山の展望はほとんど望めない。立地の宿命というか、狭隘な盆地ではこういうことが間々ある。狭い領域に温泉街の建物がひしめき合って視界が遮られるのと、郊外に出ても密集する木立が邪魔をするからである。

間近で雪山を見ようと思ったらスキー場のリフトに乗るのが一番手っ取り早そうなのだが、今回は時間的制約もあってそれはお預けである。そんな訳で白根山の写真はこれだけなのであった…




■西の河原公園




それはともかく、帰路が長いので昼までには帰投フェーズに入らねばならない。それまでに西の河原と湯揉み踊りくらいは見ておきたいので早速行動開始といこう。そんな訳でまずは西の河原を目指して歩き出す。

西の河原へは湯畑から湯滝通りを西に向かう。道幅は見てのとおりで1.2mくらいしかないが、これでも "主要商店街" の一角である。そもそも湯畑という絶対の中心地があって過去800年ほども町の基本構造は変わっていない。人と馬の都合だけで町割がされたまま現代に至っているのだから、道が狭いのは仕方がないのだ。下手に区画整理などしようものなら温泉街がぶち壊しになってしまう。

余談になるが、草津温泉にもバブル経済の余波は及んでいてリゾートホテルがいくつも建ったのだが、それらは旧市街の外側をぐるりと取り囲むように分布している。大雑把に言って道が広いところは後から開発されたエリアと思っていい。本当の旧市街地は湯畑から半径300mくらいの小ぢんまりとした領域で、現在は埋め立てられてしまった湯畑の下流側もかつては賽の河原と呼ばれ荒涼とした風景が広がっていた。現在の草津温泉は湯畑に近いところは開発され尽くし、源泉周辺のみがぽっかりとドーナツの穴のように開いた格好になっている。あれだけの涌出量を誇る湯畑の湯も、湯滝下のプールからいきなり暗渠(あんきょ)となって地下に潜ってしまい、ふたたび地上に現れるのは400mも下流の健康増進センター脇である。もう、草津温泉の開発は行き着くところまで行ってしまっているのだ。




そんな行き着いてしまった感のある温泉街も、500mほども歩くと湯川沿いに道が一本だけ…という状況になる。この先が西の河原(さいのかわら) である。




この一帯は、湯畑と同様にいたるところで温泉が湧き出し川となって流れている。結構壮観な眺めなのだが、長年開発されずに放置されてきた因果な場所である。源泉によって熱い、ぬるいの差が結構ばらばらのようだが、湯量はそれなりにある。ここが草津以外であれば間違いなく温泉街が形成されただろう。

開発の手がなかなか及ばなかったのは、ここが死体捨て場だったからである。かつての草津温泉は健康ランドのような明るいリゾート温泉ではなく、湯治場……つまり身体を病んだ人が治療を行う療養所のような性格の温泉地であった。当然、治療の甲斐なく亡くなる人もおり、また行き倒れや逗留費用が尽きて身を投げる人などもいた。それらの人々の身寄りのない遺体を、かつてはここに置いて朽ちるに任せたのである。

現在は公園として整備され観光客資源のひとつとなっているエリアだが、その名称の由来を辿るとちょっと夜中に訪れるのは遠慮したくなってくる。 ……まあ、そういうところなのだ。




湧き上がる源泉の幾つかには、祠が祀られていた。誰かの供養というよりは純然たる神の坐といった感じかな。祭神はわからないが、温泉の神としては大国主命(大己貴神)か少彦名が祀られるのが一般的なので、そのどちらか又は両方が祀られているのだろうと想像してみる。祠は酸によって腐食されたのか、すっかりボロボロになっていた。




お湯はボコボコと沸いている。ここでは裸の自噴源泉が無数に見られる。ちなみにここは沸騰している訳ではなく、手を入れてみたが火傷をするほどの熱さではなかった。



さてそろそろ河原部分の最奥部である。ビジターセンターの脇に湯の滝壷があり、そこには不動明王が祀られていた。




さらにはその背後に延命子育地蔵尊なる地蔵尊が祀られている。なぜ地蔵?という気もするが、これはおそらく 「賽の河原」 から来たものだろう。もしかすると、このあたりがかつての "その場所" だったのかもしれない。




因果な昔話はさておくとして、ここはかつての野趣溢れた草津温泉の面影を残しているという点では非常に興味深い。現在の湯畑周辺はすっかり人工物で固められてしまったが、そもそもはこんな感じで湯が流れる河原だったのだ。




おそらくは白根山に登った行者たちによって最初の施設(休憩所のようなもの?)が作られ、次第に人が定住して町になり、河原の市街化が進んだのだろう。市街のあちこちにある湯屋も、もとはといえばこういった広い河原に点在する小源泉に小屋を被せたものが出発点である。

そんな面影が、打ち捨てられた地区にのみ良好に保存されている。……不思議といえば不思議な光景なのであった。




地蔵から上側には西の河原温泉があるのだが、時計と相談した結果引き返す判断をした。ここは広大な露天風呂があるところなのだが、さすがに入るならそれなりの時間をとりたい。 …まあ、次回にお預けかな。

さて…そろそろ、湯揉み踊りが始まる頃だ。草津に来たからにはアレを見ておかねばならない。

<つづく>