2010.04.25 会津西街道の春を眺める:後編(その2)
■ 川治温泉
龍王峡を後にして会津西街道=R121をさらに北上する。周囲をみれば木々の萌え方がだんだんと少なくなってきて、この辺りではまだ春が浅いことを感じさせる。
さて川治温泉は五十里ダム、川治ダムと2つの大型ダムに挟まれた温泉地である。上記MAPには記していないが川治ダムの上流には川俣ダムがあり、五十里湖の上流には湯西川ダムが建設中で、さながらこの付近はダム銀座のような状況となっている。 川治温泉はちゃっかりそのダム湖を観光資源として取り込んでいて、まあそれなりに共存関係にはあるらしい。
それはともかく、温泉郷に入ってみよう。ここはゆるやかなS字を描くR121が唯一の幹線道路で、温泉街はおよそ南北600mほどに渡って分布している。鬼怒川温泉や藤原地区のような後背地には恵まれず、急峻な谷底の集落なので温泉街はそれほど大きくはない。
桜は6~7分咲きで、これから見頃といった感じである。沿道にはGWを目前にミニ鯉幟が並んでいた。
狭い温泉街なので普段は駐車スペースを探すのも少々大変なのだが、"川治ふれあい公園" なる小公園の駐車場が空いていたので滑り込んでみた。今回はここから渓谷に降りてみることにしよう。
公園といっても全景はこんな感じでそれほどの広さはない。しかしここには足湯が2箇所もあってナニゲに貧乏人に嬉しい。…筆者も、ここでちょこっと足の疲れを癒してみた。
電車でここを訪れる人には実感が湧かないかもしれないが、今回北上しているR121界隈には実はほとんど脇道というものがない。クルマで今市から走り始めるとずーっと一本道を行くしかなく、休憩場所にも余り恵まれないので途中に足湯があるというのは非常にありがたいのである。
※余計なことかも知れないけれど、ここにハンドタオルの自販機を置いてくれるとありがたいんだけどなぁ…
さて足湯でゆったりした後は河原を散策してみる。川沿いには遊歩道が設けられており、温泉街の端から端まで歩くことが出来る。対岸には見頃を迎えつつある桜が並んでいた。
川治温泉は鬼怒川本流ではなく支流の男鹿川から湧いていて、温泉街は男鹿川に寄った位置にある。鬼怒川温泉の過剰な開発具合と比較して良い意味で保守的であり、無粋な巨大ビルなどは建っていない。
なお飲食店街など温泉街の主要施設は写真奥側の少し開けた場所にあり、以前紹介したおなで石などはそちらにある。
遊歩道からは崖下の源泉が良く見える。現在は主要源泉は4本あるそうだが、最初に湯が湧き出したのは龍王峡の項で述べた享保8年の洪水の時である。
洪水は元々あった川治の小集落を丸ごと押し流し、現在の川治橋のある断崖を抉(えぐ)って90°向きを変え、さらに浅間山(源泉の湧く山裾)の根元に当たって南に向きを変えた。このとき河床が削り込まれたことで、ちょうどそこにあった浅い湯脈が露出したのである。
谷底の寒村に涌出した温泉は思いもよらぬ恵みとなった。それまでは主要幹線から外れた僻地だったところに、温泉目当ての人の往来が増え、次第に湯治場/宿場としての体裁が整ったのである。山の上を通る会津西街道に対して谷底を通る道は "川路" とよばれ、それが転じて現在の地名となっている。
さて周囲の木々の芽吹きは遅いが、気の早い草花が先行してちらほらと崖っぷちに咲いていた。黄色は芥子菜(からしな)、紫は菫(すみれ)の一種だろうか。
よく見るとこうした花はどこにでも咲いているわけではなく、源泉の湧く男鹿川右岸の周辺に集中している。なんとなく地熱の影響があるのがうかがえるな。
こちらもやはり崖っぷちに咲く桜と山吹。桜は道路沿い側でも咲いているが、山吹はこの源泉周辺のみが突出して咲いている感があった。桜とは2~3週間ほど開花時期がズレており本来こうして並んで咲くのは珍しいのだが、これも温泉のご利益といったところだろうか…?
源泉から50mほど南の露天風呂(薬師の湯)の付近にやはり山吹がよく繁茂していた。ここは男女混浴、さらには浴槽部分がフルオープン(=丸見え^^;)という豪快な温泉である。…といっても混浴+解放浴槽というのはこの近辺では珍しいものではなく、この種の野趣の好きな方々がよく訪れている。
ちなみに混浴とはいっても見目麗しいお姉さまに出会うことはあまりない。基本的におっさん+おばさんの小豆色カップルが多いので妙な期待は抱かないのが賢明だ。
<つづく>