2010.04.25 会津西街道の春を眺める:後編(その3)




■ 五十里湖




さて川治を過ぎると五十里(いかり)ダムが現れる。ここでR121はヘアピンカーブで一気に100m以上高度を上げていくのだが、これはそのままダムの高さでもある。かつての旧街道は今では湖底に沈んでおり、現代の街道は五十里湖を右側に眺めながら北上していく。

現在の五十里湖はちょっと歴史に詳しい人には "第二次五十里湖" などと呼ばれている。二次があるなら一次もあったわけで、それは天和三年(1633)の日光大地震によって出来、享保8年に消滅したた天然の堰止湖のことだ。原因となった崩落箇所は現在のダム位置から2kmほど北に寄ったところにあるが、現在では素人がぱっと見てもその痕跡を探すのは難しい。




現在の五十里ダムは当初の計画では江戸時代の天然ダムと同じ場所に建設されることで検討が進んだらしい。しかし調査の結果より岩盤の安定した現在の位置に変更され、昭和31年に完成した。戦後の利根川水系の大型ダムとしては第一号堤であり、高さは112m、造られた当時では日本最大高さを誇るダムであった




これがダムの全景である。このダムによって出現した第二次五十里湖は、今ではツツジや紅葉のスポットとして有名になっている。ダム湖としての性格上、水面は上下が激しく季節によっては上流域の半分くらいが干上がることもあるのだが、見どころである新緑と紅葉の頃はおおむね水量は満水に近く、景観としては美しい。




さてそのダム湖畔の桜の開花状況はというと…うーん、2分咲きといったところだろうか。おそらく、ここが現在のローカル桜前線の先端ということになるのだろうな。



ダムから見下ろす男鹿川は、こんな状況である。奥側にちょこっと見えているのは川治温泉で、こうしてみると既存集落に対して本当にぎりぎりの位置でダムが造られていることがわかる。

しかしたったこれだけの距離でも季節感は随分と違う。温泉の周辺は地熱の影響もあってかピンポイント的に桃源郷のような花風景も見られたが、ここでは花も緑もまだウォーミングアップ中のようだ。




ダム堤から2km少々溯って海尻バス停までやってきた。昔の崩落跡の付近だが、ダム建設に合せて補強工事が施され今ではナニゴトもなかったかのように道路が通されている。

さて周辺はというと…下流域と違って鮮やかな桜色はまったくといっていいほど見えなくなった。五十里湖周辺は名所と呼べるほどの桜の群落というのはあまりなく、新緑に映えるツツジ藤の花が美しいところだ。しかしその見頃は5月中旬頃~6月初旬くらいでまだ少々早い。

いつもの年ならもう少し新緑に萌える木々が見えていても良さそうなものだが…今年はご覧のとおりで、バス停はあっても降りて観光している人はいなかった。




もう少し北上して湯西川との分岐部を過ぎると、旧五十里宿のあった小盆地がみえてくる。雪解け水が満々と貯まっているのでかつての宿場の面影はまったく感じられないが、木々が浮島のような状態になっていて風景としては面白い。
水に浸かっているのはおそらく柳の仲間だろう。周辺の木々よりは芽吹きが少々早く、この部分だけが若木色が見えていた。

余談になるがあの付近はボート持参の少々ヘヴィな釣り人がよくトローリングをしているところで、40cmクラスのヤマメやニジマスが釣れる。レイクトラウトというと圧倒的に有名なのは中禅寺湖だが、こんなところにも穴場はあるのだ。

…ということで、ほとんど春の色が見られない五十里湖についてはあまり書くことがない。 先に進むことにしよう。

<つづく>