2011.02.10 越後湯沢 (その1)




温泉宿でマターリしてきました~ヽ(・∀・)ノ



冬になったらやはり温泉だろう、ということで越後湯沢に出かけてみた。地名としては単に "湯沢" なのだが、国内に類似の名称の土地が多いので最近は専ら "越後湯沢" と称している。

越後湯沢は北陸と関東地方を隔てる脊梁山脈=谷川連峰に隣接する小盆地である。冬季、日本海でたっぷりと水分を吸収した季節風が山越えをするちょうど降雪のピーク付近に位置している。その積雪量は平年で2m、多いときは5mに及ぶ。人間が日常生活をしているところでこれほどの積雪があるのは世界でも珍しく、シベリアや欧州のアルプス山脈でさえ人里にこんな降雪量は見られない。

今回は、そんな越後湯沢で温泉に浸かってゆるゆる過ごそう、という実にふにゃらけた趣旨の小稿である。




■越後湯沢への道




さてそんなわけで熊谷を出発したのは午後も2時を過ぎた頃であった。なにしろ当日になってから思い立ったので何も準備しておらず、カメラ一式以外には手提げバッグに着替えをちょこっと突っ込んだ程度の軽装である。 さらには浮世の諸事情であまり時間的余裕もなく、一泊して温泉に浸かったらリターン…というせわしない日程なのだ。つまり中身はあまり無い(笑)

嗚呼これで給料が10倍で労働日が半分くらいの待遇であればもう少し余裕のある旅ができるのだけれど……ま~そんなことは永遠に有り得ないので、妄想はそこそこにさっさとクルマを北上させよう。




途中、赤城高原SAで給油のため小休止。目前に見えるのは谷川連峰である。高さでいえば2000mに若干届かない程度の山々だが、ここが群馬県と新潟県の県境=気候区分の境界を成している。

千葉県から新潟県まで日本列島を横断的にぶったぎって約300kmの陸地の断面をみたとき、この山々は距離に対してわずか0.6%程度の出っ張りに過ぎない。しかしこの出っ張りがあるがゆえに、新潟県側はとんでもない雪国なっているのだから侮れない。




おお見ればGSの軽油も寒冷地グレードになってだんだん雪国感が増しているな。

※普段クルマに乗らない人にはピンと来ないかもしれないけれど、軽油は冷えるとペースト状に固まりやすく、エンジンが掛からなくなる。 このためディーゼル車は季節や地域によって5種類の燃料グレードを変更しながら給油しなければならず、実は非常に運用が面倒だったりする。ガソリンは-100℃くらいまで凍らないのでその心配はない。




さてそのまま北上するとやがて沼田のあたりで関東平野が尽き、か細い流れとなった利根川の渓谷沿いを遡っていくことになる。

そのどん詰まりにあたる水上(みなかみ)の集落を過ぎたあたりで、谷川岳を縦貫するトンネルがみえてくる。

付近の一般道はもうすっかり行き止まりで、ここから直接山を越えて新潟県側に続くルートは無い。付近には沼田から三国峠をぐるりと回って越後側に抜ける道 (旧三国街道=現R17) が一本通っているきりで、かつては冬になると雪で交通は途絶した。




そんな難所も、現在では関越自動車道で何も考えずにひょいと抜けることができてしまう。便利な時代になったものである。




トンネルを抜けると、小説の通りそこは雪国であった。 上空は雪雲で、太陽はまったく見えない。時刻はそろそろ17時・・・もうそろそろ日没の頃だな。向こう側にはスキー場の明かりが見える。




さて越後湯沢を谷川岳から眺めるとこんな↑景観になっている。

新潟平野の最奥地である長岡(画面外右奥方向)から、小千谷、小出、六日町…と続く細長い回廊のような平地が続き、それが谷川連峰で遮られる直前の、幅1kmほどの細長い小盆地に越後湯沢の集落がある。もちろん周囲は山ばかりで、スキーリゾートによる集客のなかった頃は、貧しい寒村でしかなかった。

それが交通網の整備の結果、急速に発展して現在では総人口の8割が第三次産業という観光とレジャーの町になっているのだから、世の中何がどう転ぶのかわからない。

<つづく>