2011.02.26 南房総:フラワーラインを行く:前編 (その2)
■洲崎:源頼朝公上陸記念碑
さてもう日も暮れかけた中をゆるゆると洲崎方面に進んでみる。ここは房総半島の東端にあたり、ここをぐるりと回って南側に行くと太平洋の風と波の打ちつける外海の世界が開ける。ただし半島の北側はフラワーラインの周辺に茂みが多く残念ながら眺望はいまひとつである。
そんな洲崎半島の突端付近に、源頼朝公上陸記念碑がある。花の景色からはちょっと脇道に逸れるけれども、歴史的に重要なスポットなので是非とも触れておきたい。ここは平安時代末期、平氏打倒の旗を揚げた源頼朝が緒戦で破れ、落ち延びてきたところなのである。
くどくならない程度に背景を記しておこう。
打倒平家を叫んで伊豆で挙兵した頼朝は、当初300騎ほどの手勢を率いたらしい。しかし勇ましく源氏の旗を掲げたわずか1週間後、石橋山で10倍の兵力を動員した平家軍勢にあっさりと破られて壊滅し、頼朝本人は山中を逃げ回った果てに真鶴岬から小船に乗ってこの洲崎に脱出した。最初から白旗(※)を掲げたのがいけないんじゃないのか…などの冗談はともかく、上陸した時の従者はわずか数名だったというから、その負けっぷりは凄まじい。もしこのまま終わってしまったら鎌倉時代は訪れず平家の天下が続いていたかもしれないのである。
しかし安房に逃れた頼朝はここで体勢を立て直し、本来は平氏の血統であった上総介広常、千葉介常胤らを味方に引き入れて房総半島を北上、さらに関東各地の武士を糾合していく。そして最終的には総勢2万7000余騎の軍勢を率いて鎌倉に入り関東の支配権を手中にした。まだ義経が登場する以前のことである。
※源氏の旗色は白であり、平家は赤である。
頼朝にはもともと人集めの才覚があったとはいえ、要塞的な安房国の立地がなければこうも鮮やかな反攻作戦は実行できなかっただろう。いざとなったら小勢力でも立て篭もれる秘密基地のような拠点があってこそ、革命家は冒険ができるのである。
その記念碑はバス停脇の小公園のようなスペースに立っていた。説明書によるとここに源頼朝が上陸したのは治承4年(1180)の8月28日とある。ほとんど身一つで落ち延びてきてどうやって新たな協力者を集め統率していったのか興味があるところだが、少なくとも血統の良さだけで人心が掌握できた筈はなく、やはりある種の説得力というか現実味のある戦略なり政策を提示して味方を増やしていったのだろうと想像してみる。
政策としては関東武士の財産権(=土地所有権)の保護と経済的独立という明確なビジョンをもっていたことが一番大きく、そこにご先祖様の八幡太郎義家の貯金が効いたと考えるのが妥当な気がする。緒戦で敗退して以降は最前線で直接指揮を執るのはやめて現場指揮官に采配を委ね 「オレが、オレが」 を控えたのも良い点だろう。
…と、それ以上深入りすると果てしが無いので頼朝の話はここまでにしておく。
それにしてもフラワーラインと称する割に花がまったく無いというのがちょっと寂しいな。見れば道端にはどうやら草刈マシーンで雑草をなぎ払ったような跡があり、一応のメンテナンスは行われているらしい。もしかすると何かの花が咲いていたのかもしれないが、残念ながら周辺はスッカラカンなのであった。
…うーん、花は、どこだ?w
■伊戸
さて頼朝公上陸記念碑を過ぎて、花の無いフラワーライン(笑)を行く。このあたりは伊戸の漁港の近くである。観光案内に謳われている "日本の道百選" に該当するのはこの付近から5kmほどの区間らしい。
観光案内を注意深くみると、どうやら花のあるのはもう少し西のほうらしく、この付近の主役は海の景色のようだ。特に港に伸びていく海浜道路は余計な電線などがなく視界がよてもよく通る。こういうところは彼女を連れてサンセットを見に来るには絶好の場所だろう。
背後には海岸ぎりぎりまで山が迫る。そのフチを幅200~300mくらいの細長い平地が取り囲み、回廊のようになったところ集落が点在する…というのが、この付近の風景の基本構造らしい。山には南方系の常緑樹(椎の木らしい)が多く、枯れ木ばかりの那須方面から来るとちょっと季節感が違って見える。
海岸に下りてみると、洲崎の岬を構成している岩盤のエッジ部にあたる岩礁と海がよいコントラストを描いていた。
空気が澄んでいれば向こう側には富士山が見える筈なのだが、あいにくこの日は超絶晴天の割に遠景が霞みがちでそれは望めなかった。そのかわり霞のフィルター効果で夕日の日輪が丸く綺麗にみえている。
気の利いたことに駐車場脇には狙い済ましたように自販機があり、熱い缶コーヒーが貧乏サラリーマンの疲れた心を癒してくれる。そのような次第で \120 を投資し、しばし夕日を眺めてみた。
見れば2月の海とは思えないような爽やかさで空が染まっていく。
海から吹く風は、那須や熊谷で感じる 「冬の北風」 の冷たさは帯びていない。観光案内では 「暖かい」 という言葉が意識的に使われてはいるけれど、皮膚感覚としては 「冷たくない」 という表現が正しいような気がする。遥か南方から黒潮の運んでくる "熱帯の余熱" は、決してファンヒーターから吹き出す温風のような露骨なものではなく、もっとはるかに控えめで、じんわりと穏やかな影響をこの半島に与えているようだ。
さてもう日が暮れてしまうのだが…正直なところ、少々物足りない。せっかくフラワーラインに来た割に、いまひとつフラワー感が足りないというのはどうしたものか。
少々逡巡した挙句、ここは一泊してもう少し西のほうを攻めてみることにした。やはり半日で熊谷から南房総をカバーするのは無理がある(笑)。今日は土曜日でもあるし、夜が明けてから再度リベンジしてみることにしよう。
■宿にて
そんな訳で、あまり深くは考えずに、普段はサーファーなどを相手にしているらしいペンションに宿をとった。善良そうな主人氏に花具合について聞いてみると 「あ~、もう菜の花はそろそろ終わりですよ。道路沿いの花は植え替えで抜きはじめてますから、タイミングが悪かったですね」 とのことだった。・・・なるほど。
話を総合すると、菜の花を見るならなんと1月(!!)に来るのが良いらしい。驚くべきことに関東で最も遅い紅葉がここにやってくる12月にはもう菜の花が咲きはじめるそうで、どうやらここには筆者の知るようなイメージの 「冬」 というのは存在しないようなのである。
筆者 「やはり、黒潮ですか。」
主人 「そうです。風の当たり具合でも違いますけどね。」
筆者 「…というと?」
主人 「館山からここ(※平砂浦)に来るのに山一つ越えるでしょう。それだけでも気候が全然違います。こちらのほうが黒潮に面していますでしょう。数段、暖かいのですよ」
…なんてこったい。
筆者 「…すると、もう花は諦めないといけませんかね」
…と、聞いてみると、主人氏はそんなことはありませんよと言った。
主人 「菜の花はピークは過ぎていますがまだ見られるんじゃないですかね。それより、今頃はポピーがいい時期です。ここから一番近いところだとファミリーパークがお勧めです。」
筆者 「ポピーですか…これはまた (^^;)」
那須では5月を象徴する花が、ここでは2月に咲くというのか。…ならば、明日はそのあたりを狙ってみよう。
<次回につづく>