2012.11.16 深山園地 ~塩那スカイライン(板室側)~(その1)




新設されたばかりの深山園地を見てまいりました~(´・ω・`)ノ



非常~に地味なニュースではあるけれども、深山園地がオープンしたというので行ってみることにした。栃木県内で最大の未完遂山岳観光道路であった塩那スカイラインが未完のまま廃道となってはや5年あまり…しかし、実は末端部は地味~に通行できるようになってきていて、今回道路品質は大幅ダウンながら板室から8kmあまりが通れるようになった。その最奥部に申し訳程度(^^;)に作られた展望スポットが深山園地である。

ここがオープンしたのは本年(2012)10/17で、冬季の積雪対策で11/30までで通行止め(※)という短期公開となった。この記事を書いている12月の時点ではもうゲートが閉まっており、再び開通するのは来春4月後半(雪解け状況により日程は前後する)ということになる。

小さなスポットではあるけれども、この深山園地の開園はなかば幻となっていた塩那スカイラインのルートを一部とはいえ辿れる契機が出来たという点で喜ばしい。安全第一を唱えるあまりに過剰に林道への侵入を規制してきた流れがこれで変わるか…というとそういう訳でもなさそうなのだが、林道好きにとっては一歩前進であることに変わりはない。ともかく、現状を見てみようと思ったのである。

※実際には積雪のため11/28でゲートが閉じられてしまっている




さてこの日、筆者の自宅のある那須塩原市はすこぶる晴天で穏やかな晩秋の様相であった。庭先の柚子の実もそろそろいい感じで色づいてきている。




そんなゆる~い日差しの中、出掛けたのは昼過ぎであった。

那須塩原市の平野部の紅葉はちょうどピークを過ぎようかというあたりである。途中、通り過ぎた道の駅 「明治の森・黒磯」 では色付いた枯葉のシャワーが舞っていた。




そのまま戸田の交差点から穴沢方面に抜け、山岳部を目指していく。青空基調だった空の色が白く霞んでいるのは雪雲によるものである。この季節になると、もう那須の山々は冬の空気に飲み込まれ始める。日本海側からやってくる湿った風が山を越えるとき、上空で冷やされて "雲" をつくるのである。

視界を遮るこの白いもやもやとした "雲" は、上空の気温状態によって雨であったり雪であったりする。平野部には届かない "季節の境界" とでもいうべきものが、あの山の周辺にエアカーテンのように居座っているのである。




木ノ俣川を渡って幸乃湯温泉を過ぎる頃には、もう木々の様相も晩秋から初冬のような様相になっていた。路面がぬれているのは "雲" の領域に入って、霧雨が降っているためである。

塩那スカイラインは県道名でいうとr266にあたる。始点は那須町湯本の一軒茶屋交差点で、板室温泉を経由して峻険な男鹿岳、日留賀岳方面に向かい、塩原温泉までパイロット道路(※)が通じていた。板室温泉までは普通に通ることができるが、深山ダムに向かう r369が分岐するところから先は通行止めであった。

※パイロット道路:本格工事を始める前に予備的に作る仮設の道路。未舗装で工事用車両がとりあえず通れれば良い、という程度のもの。塩那スカイラインはこのパイロット道路が通じて本工事が開始された段階で予算がストップされていた。一応通り抜けることが出来る程度の路面状況ではあり、たまにMTBやバイクで走破する猛者がいるが、ゲートが厳重なためクルマでは侵入できない。



 

■開通区間に入る




そのr369の分岐点では、園地までの 「開通の案内」 …というよりは 「通行止めの案内」 という
激しく消極的なテイスト(^^;)で、この先8kmまでは通れますよという表示があった。…こんなので客が来るのかねぇ、などと苦笑しつつも奥に入ってみる。

…見れば、辺りには風花が飛んでいる。さきほどまでの霧雨が、このあたりから雪に変わりはじめているのだ。やはり上空は相当に気温が低いらしい。




以前に禁断のゲートのあった付近は、ベルリンの壁崩壊ほどの熱狂的な歓喜の声こそないものの、静かなる自由回廊となっていた。

よく見ると、ここに掲載したゲートは旧来のものではなく代替わりして新設されたものらしい。冬季はここを閉める…ということなのかな。




さて、それではいよいよ禁断のエリアに踏み込もう。




走ってみると、わずか8kmほどではあるけれどさすがは山岳道路…と思わせるクネクネ具合で隘路が続いていく。
 



高度があがると、風の当たり方もだんだん強くなってきた。遠景を撮ろうとすると雪のためにカメラのAFも迷いやすくなる(遠景ではなく雪を拾おうとしてしまう)。こういうところでは広角側で撮影するのが安全パイなのだが…ちょっと写真のバリエーション的にはアレだな( ̄▽ ̄;)

…見れば雪の濃淡がごうごうと流れて風の動きを可視化している。水族館で見るイワシの大群のように、雪もまた巨大な群れの様相で暴れながら流れていくのである。こういう景観は平地ではちょっとお目にかかれない。起伏の激しい山岳部ならではの空気の流れによるものなのだろう。




路面にはその風の所作によるものだろうか、所々に枯葉が吹き溜まっていた。路面の清掃はお世辞にも行き届いているとは思われない。正直なところ、園地を整備したといっても大々的に 「新名所OPEN!」 …という訳ではなく、最低限のコストで 「とりあえず通しました」 というレベルのようだ。途中、営林署のクルマとすれ違ったのでまったくの無管理という訳ではなさそうだが…まあ、予算も少ないのだろうし、通行を許してくれているだけありがたいと考えよう(^^;)




■殉職碑




やがて道路脇に殉職碑が見えてきた。

パイロット道路を開削した陸上自衛隊宇都宮駐屯地第104建設大隊の隊員を慰霊する碑である。亡くなったのは高久修二三等陸曹とあり、昭和45年8月7日午後4時40分との時刻も記してあった。年齢は22歳であったという。…詳細な殉職状況は書かれていないが、地形からみて転落ではないかと筆者は思っている。




碑文の署名をみると、日塩もみじラインの項でも紹介した故・横川知事の名がみえる。完成していれば日光~龍王峡~塩原~那須湯本までが観光道路で一本につながる計画だった。 それが途中で頓挫し、慰霊碑は長らくゲートの奥に隔離されてしまっていたのである。




殉職碑には今でも供え物を届けにくる人がいる。筆者も、お釈迦様の采配を左右するほどの甲斐性は無いけれども微力ながら故人の冥福を祈ってみた。

山岳道路を行く者は、こういう尊い犠牲の上にインフラが整備されれていることを忘れてはならない。…南無南無。



 

■舗装部末端へ




慰霊碑を過ぎたあたりから、雪が激しくなってきた。




遠景は降りしきる雪で白く煙っている。太陽は雲の向こう側にあってその姿を見せず、遠くで ヒョォォォ…という微かな風の音だけが響いている。




やがて道路の幅が極端に狭くなってきた。アスファルトやコンクリートの状況からみて舗装は最近のことらしいが、このあたりまで来ると僻地感が半端ではない。

道が細いままなのは、本格建設に移行する前のパイロット道路の段階で工事が停止していたものを、本当に 「最低限の手直し」 でリリースしたためのようだ。…筆者的にはこの品質で十分だからあと10kmほど奥まで整備を進めてほしいところだが…果たして、どうなるのだろうねぇ。




…そしてついに、禁断のゲートMarkⅡが現れた。ここが舗装道路部の終点である。

崖っ縁ぎりぎりに、クルマを4、5台も停めたらもういっぱい…という程度の小さな駐車場があり、簡素な案内板が建っているだけ。もしここに兼好法師がいたら、何か気の利いた一句でも詠みそうな侘び寂び具合である。




満車のときは1.3km戻れ、という漢(おとこ)らしい表記も実に清々しいw

…というより、この状況を見る限り、そもそも大人数の観光客の来訪など最初から想定していないのだろう。




さてこの先は遊歩道ということになる。…どうやら、ここから入っていけということらしい。


<つづく>