2013.01.14 木幡神社の太々神楽とどんど焼き(その2)
■神楽
さて正午に始まるはずのどんど焼きの点火は、少々遅れるようだ。なにより神主さんが行方不明で誰もその場にいない…(^^;) 神楽も同じ時間に始まると聞いていたのでどちらを採ろうかなぁ…などと逡巡していたのだけれど、この様子だと先に神楽を見に行ったほうがよさそうだな。
…ということで神楽殿に行ってみると、おおもう準備万端整っていよいよ始まるところだった。
ここの神楽は演奏、舞踊とも地元の氏子衆によるもので、かつては神人16戸による各戸一子相伝だったそうだが、昨今は氏子衆の中から素養のある者が保存会を結成している。変に気取ったところがなく自然体なのがいい。
そんなわけで、いよいよ開演である。今回はなんと舞台の上に上がっての撮影を許可して頂けたのでベストアングルで捉えることが出来ている。
迂闊なことに最初の演目をメモするのを忘れてしまったのだが(汗)、内容を見ていると第一座はどうやら場を清めるためのものらしく、陰陽道でいう反閇(へんばい)つまり呪術性のある足の運びでステップを踏む所作が多用されている。それぞれの動作を細かく分析していくと面白い解釈ができるかもしれないな…。
舞は、まず舞台正面で大見得を切ってから神前に向かい、神に祈るところから始まる。木幡神社の神楽は全部で36座(※)あり、正午から始まって午後8時過ぎまで延々と続いていく。一座あたりの構成は基本的に3幕で、事前、事後に神前での祈祷が行われる。
※登場する神様の人数で36座と数えているが、舞の演目数としては13座となっている。
…で、これがもう、動作にキレがあって実に素晴らしいのである。舞台の四方を順に回りながら、ピシッ、ピシッ…と歩を進め、シャン…! と、鈴を鳴らしていく。
面は木彫りで、塗装はかなりハゲてきているが下手に修繕しないで古来そのままに使われている。神楽面は一般に能面より一回り大きく作られるようで、能を見慣れた人には多少の違和感があるかもしれないが、演じているキャラクターの性格は非常に分かりやすい。
一通り舞が終わると、神前で〆の祈りを捧げる。このあとはスタスタと楽屋に戻るのではなく、もういちど舞台正面で大見得を切ってからすり足でゆっくりと戻っていく。舞台の袖に下がるまで、きっちりと作法が決まっているようであった。
それにしても…筆者はもっと簡易なものを想像していたので、これはナニゲに嬉しい誤算である(^^;) これであと残り35座…気の遠くなるような分量だけど、粛々と舞は続いていく。
■どんど焼き
さて何だカンだと一座分の神楽を見終えてしまったのだが、そろそろどんど焼きの点火があるようなので参道の階段を降りてみた。
見れば当初は行方不明(笑)だった神職氏もようやく登場してくれたようだ。背後には消防車も来ている。聞けば神事といえども火を使うイベントなので、消防団は必ず同席するのだそうだ。
点火が遅れたのはどうやら天気予報でさかんに言われていた 「荒れる天候」 の様子見と、正月飾りの山が巨大になりすぎたのでいくらか崩して退避させたためのようだった。
そしていよいよ点火である。神事にしてはヤケに近代的な(笑)キャンプ用トーチが登場し、しゅぼぼ~んと行われた。これだと那須野ヶ原の新興開拓地の方がよほど古式ゆかしい点火方法のような気がしないでもないけれど、まあ細かいことは気にしないで行こうw
点火すると、たちまち炎がゴォォ…と立ちのぼり、周囲が暖かくなった。 正月飾りは藁細工なのでとにかくよく燃える。見れば松飾、熊手、破魔矢、お札…さらに達磨や古い神棚なども積み上げられている。みな一般廃棄物として捨てるには抵抗感のあるもので、それらをここでまとめて焚き上げてしまうのである。実質的にゴミ処理作業でありながら神事を兼ねるというのが、なんともエコな感覚で面白い。
おおでっかい達磨も燃えていく…。
両目が入っているところをみると、どうやら宿願が成就して天に送られる…といったところかな。
達磨と言えば、地方によってどんど焼きで燃やすかどうか、その流儀にはかなり差があるらしい。栃木では流儀以前にオリジナルの達磨文化というのがなく、ゆえに他の縁起物と同等に扱われている。強いて言うなら達磨ワールドとしては高崎達磨と白河達磨の商圏が互いに重なる地域であり、双方ともどんど焼では達磨を燃やす文化なので、それに倣っているともいえる。
一方こちらは藁で作った宝船である。見ればいつのまにか七福神はリストラされて三人になっており、深刻なデフレ経済を象徴(ホントかよ ^^;)しているかのようだ。
世知辛い話だが無理に神様を七人雇用しようとすると、今どきの世相では正社員三人(恵比寿、大黒、弁財天)と非正規雇用の毘沙門天と布袋、それに再雇用高齢者である福禄寿と寿老人…ということになってしまいそうで、しかしそれだとグローバリゼーションで疲弊した貧乏企業みたいでちっとも福が来そうな気分じゃない(爆) …やはり七福神は一人も欠けることなく全員正規雇用であってほしいと思う。
それはともかく、炎の勢いがついてくるとぼちぼち人も集まり始めた。境内に出店しているテキヤの経済も回りだしているようで、万事めでたいサイクルになりつつあるらしい。…いよいよ祭りらしい雰囲気になってきたな。
■歳神を送る、ということについて
さてここで、せっかくなのでどんど焼きに関する薀蓄(うんちく)などを少しばかり書いてみたい。
以前もどこかで触れたかもしれないが、この種の火を神聖視する思想は古くは古代ペルシャのゾロアスター教にまで遡るのだそうで、密教の儀式(護摩など)に含まれる形で日本に伝わったと言われている。経由地である中国に入ってきたのは5世紀頃と比較的遅く、当の中国人達もよく理解できないうちに仏教、道鏡、儒教などと入り混じってかなり混沌とした形になった。さらにそれを輸入した日本では、不動明王信仰などを経て炎を神聖視する思想が定着したらしい。
それが 「どんど焼き」 の形に至った過程には諸説あり、現在では平安時代に陰陽師が毬杖(ぎっちょう=貴族が使用した毬状の遊具)に扇子や短冊を添えて宮中で焼き、卜占したのをルーツとする説が有力とされている(※)。この儀式が宮中で行われたのが正月十五日だったのだそうで、のちにこれが歳神信仰と習合して民間に広がったらしい。
※毬杖は3個セットで焼かれたため、地方によってはどんど焼きを三毬杖(さぎちょう)あるいは別の字を当てて左義長などと呼ぶ。道祖神の祭事と習合した地方ではそのものズバリで賽の神(道祖神の別名)と呼んでいることが多い。
歳神様は正式には歳徳神(としとくじん)といい、初詣で神社の暦をもらうと方位吉凶図とセットで一番最初のほうに載っている。上図をみれば分かるように、その姿は女神様である。
歳徳神は、神仏習合の過程を経て、現在では素戔嗚(すさのお)神の后=奇稲田姫(くしなだひめ)として同一視されることが多い。新年とともにやって来て福をもたらし去っていくだけ…という究極の季節労働(それも激しくピンポイントの)を生業としている神様で、彼女のやって来る方角がその年の恵方(えほう)=運勢の良い方角ということになり、最近関西方面の食品会社が盛んに宣伝している 「恵方巻」 はこの方角を向いて食べると幸運を呼ぶと言われている。
正月行事とは、要するにこの神様を家に迎えてもてなし、半月ほど滞在してもらってまた天に帰っていただくというサイクルを繰り返しているものだ。門松とはその案内標識(または依代)であり、鏡餅は神器を模ったお食事であり、そしてどんど焼きは神様を天に送る最後の締めくくりの儀式なのである。
ついでに言えば、どんど焼きの 「どんど」 とは、 歳徳の読み方が訛(なま)ったものである。「とんど」 とか 「どんどん」、「としどん」 など幾つかのバリエーションはあるが、皆ひとしくこの歳神様のことを指している。
…と、そんなことをつらつらと思いながら、筆者は焼きたての大判焼きを買ってぼーーーーっと火にあたりながらパクついていた。
とりあえず、筆者に買える至福の贅沢と言えば、ひとまずこのくらい(^^;) そういえば正月で自宅で飾ったのも、コンビニの激安鏡餅パックくらいだったような気が…いかんなぁ、不信心者で(爆)
<つづく>