2013.03.22 鉄と日本刀を訪ねる:出雲編(中編その7)




■ 風化した花崗岩の山々を行く




さて金屋子神社を後にして、筆者は横田を目指すことにした。…といっても本日はもう大きなイベントはないので、基本的に宿に入って寝るだけの 「流しモード」 である。

それでもわざわざこの長ったらしいレポートの中でさらに1ページを割いたのは、斐伊川下流~中流で見てきた "砂鉄" の生まれた山々、それも風化した花崗岩の実物を見る機会があったからだ。それはカーナビの選んだ横田への最短ルートが、主要幹線道路ではなく、えらく細い山道だったことから生じた偶然だった(^^;)




それは、実に、あっさり、ひょっこりとした露頭だった。




そういえばこれと同じものが、吉田の鉄の歴史博物館のビデオに写っていたな。

かつての鉄穴流しでは、これを棒のような道具でザクザクと崩していた。花崗岩とは言ってもすっかり風化が進んで結晶境界が分離しており、砂を固めた壁のような状態になっている。地質用語ではこういう状態の花崗岩(…の成れの果て?^^;)を "真砂土" という。




試しに壁面を手で掴んでみると、お菓子のウェハースくらいの硬さでザクっと崩すことが出来た。




この中に、1%ほどの砂鉄が含まれている。こんなに柔らかい、岩とも呼べないシロモノが中国山地の山々の芯となっているのはちょっと驚きで、こんな状態なら雨が降ることでどんどん浸食も進もうというものだ。




ちなみに斐伊川の下流で川底から掬った砂はこんな感じだった。粒の大きさ、色具合(川底なので濡れているけれども ^^;)、手触り感など、ほぼ同じもののように思える。こいつの出所は、言われている通りに奥出雲の山々だったのだなぁ。




さて壁面の実態がわかってから道路沿いをつらつらと眺めると、同じような柔らかい砂状の崖が延々と続いていることに気付く。柔らかいせいで草木が根を張りやすいらしく、漫然と走っていると気が付かないけれども、これが非常~に広範囲に広がっている。…というか、山そのものがこれで出来ているのだから凄い話だ(´・ω・`)




真砂土の風化の度合いは、気象の影響(=日々の寒暖差)の及びやすい表土付近が最も大きく、地下20mくらいになると自然含水率(つまりは結晶間の間隙の開き具合=崩壊の程度)が急激に減少するらしい。つまり掘り崩しやすいのはその程度までで、それより深いところは次第に粒の粗い礫(れき)のような層となり、やがて風化の及ばない岩盤に至る。




粒の粗い礫というのは、たぶんこんな状態(↑)なのだろう。これは金屋子神社周辺の地面からとった砂の写真だが、色味の違う結晶が合体してることから石英や長石の結晶が分離しきっていない(=風化が中途半端)ことが見てとれる。

素人推測になるけれども、これはかつての地表面=崩しやすい真砂土の層が鉄穴流しで消費され尽くして、深い位置にあった砂の層が露出しているものではないだろうか。この状態では砂鉄の粒は未分離の結晶間隙に閉じ込められていて、水に流したところで単体分離はむずかしい。こういう状態になったあたりがその場所での鉄穴流しのやめどきで、現在の鉄穴田の形成はそういう判断の果てに為された…と考えると、状況が自然に理解できるような気がする。




地形の見方の要領がわかってくると、かつて掘り崩された跡地のようなところが頻繁に目につくようになってくる。こういう何気ないところに地域の特色がみえるのは面白い。



 

■ 横田




やがて金屋子神社から10kmほど走って、本日の宿営地である横田に到着。もっと鬱蒼とした秘境的なところかと思いきや、ちゃんと整備の行き届いた町であった(ぉぃ ^^;)

※ただしコンビニは無く、買い物をするつもりなら時間帯には気を付けなければならない。




市街地の中心部にまるで神社のようなたたずまいを見せるのは出雲横田駅である。日本にJRの駅は数あれど、入り口に注連縄の張ってある駅はそう多くはあるまい(^^;) ここはスサノオ神の八岐大蛇退治の伝説のある土地で、町中が神話の雰囲気で満ちている。ちなみに横田は櫛名田姫(くしなだひめ/奇稲田姫)の住んでいたところでもある。



駅前には、その櫛名田姫の像が建っていた。剣を持っているのはここが鉄の産地で、古くから鉄剣の材料として珍重されたことを象徴しているらしい。剣の形式をみると、まだ日本刀の形になっていない両刃の直刀である。





像の基壇には 「クシナダヒメ」 と読み仮名を振りながら漢字は 「稲田姫」 とある。古事記の頃の表記は当て字が多くて何種類かの表現の幅があるのだが、本来のこの姫の名前は稲田姫(いなだひめ)で、大蛇退治のときに 櫛に姿を変えて身を隠したとの伝説があることからのちに櫛稲田姫(くしなだひめ)となったとする説がある。




町の中を流れる斐伊川は、下流に比べるとずいぶんか細い流れとなっていた。もうすっかり源流部に近く、船通山にむかってあと数kmしか遡れない。

しかしこんなところでも、川砂鉄は採れるのだという。この横田盆地にはやはり古い時代の製鉄遺跡があり、現在国内で唯一玉鋼の生産を行っている日刀保たたら炉もここにある。そして今回の旅のハイライトである折り返し鍛錬は、明日が一般公開日なのだ。

…そんな訳で、明日に備えて一休み。本日分のレポートはここまでとしたい。


<3日目につづく>