2015.10.04 那須:姥ヶ平の紅葉(その3)
■ 傘雲の中から眺める姥ヶ平
それにしても風が強い。写真では分かりにくいかもしれないが雲は猛烈な勢いでごんごん流れている。雲の高さがあと100m低かったらほとんど視界のない真っ白な世界になっていたところだ。茶臼岳の溶岩ドームはすっかり雲の中である。
こちらは180度振り返って日の出平方面。やはり雲に覆われている。
色づき具合は非常によろしいだけに少々残念なところはあるのだが、まあ文句ばかり言っていても仕方がない。これはこれで幻想的な風景を見ることが出来たと前向きに捉えることにしたい。
それにしても姥ヶ平だが…雲の高さを1700mとみれば下側100mほどは視界が通る…とみてよさそうかな。写真を撮る際には雲待ち前提になってしまうけれども、降りていく価値はありそうな気がする。
…と、雲がふいに晴れた。…おお、なかなか良い感じに染まっているではないか!
雲は断続的に流れてくるので100%クリアな視界は得られないものの、姥ヶ平から戻ってきた人に聞くと 「今年は当たりだねぇ」 などと言っている。ここは降りていくべきだろう。
そんな訳で、ここからは遠景として眺める姥ヶ平周辺の木々の様子をいくらか並べてみたい。
このあたりの樹種は赤色はドウダン、カエデ、ナナカマドの仲間で、黄色はシラカバ、ダケカンバ、ブナ類、緑色はハイマツのほか針葉樹であるアスナロ、ヒノキなどが点在する。シラカバ、ダケカンバの色づきは早く、カエデ類の赤が立ち上がってくる頃には落葉気味になって白い枝がアクセントとなって面白い。
森林限界の最上端で緑色のアクセントとなっているのはハイマツである。夏場には緑色の絨毯のなかに埋もれて目立たないけれど、秋になるとにわかに常緑樹としての存在の主張が明確になってくる。
それが標高を下げるにしたがって落葉性の広葉樹林に遷移していく様子が一目で見渡せるのが、この姥ヶ平周辺の面白いところだ。
そしてもう一点挙げるとすれば、ここには人工的な植林の痕跡がほとんどまったく見られない。日本の里山はかつて林業が盛んだったころに経済価値の高いスギやヒノキが植林されてツギハギのような幾何学模様になってしまっているところが多い。しかし茶臼岳の付近はかつて信仰の山であったこと、および水源の森ということもあって人為的な樹木の伐採が行われず、比較的原初の植生が維持されてきた。それが自然な樹種の混在具合をもたらしているのである。
…と書くといかにも "自然は素晴らしい" 系のレポートになるのだが(^^;)、実態は少しばかり違う。信仰の山、水源の森というのは確かにそのとおりで、しかし木々が伐採されなかった最大の理由は、あまりにも不便な立地で林業地としては採算が採れなかったからなのである。
この付近はそもそも会津側、那須高原側のいずれに出るにしても峠越えが必要で、筏(いかだ)を組んで木材を流せるほどの川も無い。おまけに土地が痩せているので商品価値のある太く直線的に伸びた木がほとんどない。意外に思われるかもしれないが、紅葉の綺麗な樹種というのは、産業的にみれば雑炭にするくらいしか価値のない雑木ばかりなのである。
それが今では観光産業という切り口で新たな "資源" となっているのだから、世の中何が転じて福となるのかわからない。しかもこの資源は採掘したり伐採して消費してしまう性質のものではなく、放っておけば毎年再生して楽しむことができ、マンネリでありながらもリピーターが多いのである。…思えば不思議な話ではないだろうか(^^;)
さて下りていく道すがら振り返ってみると、雲の高さが少し上がったようだ。相変わらず充分な日差しは得られないけれども、視界が通るようになったのはありがたい。
■ 姥ヶ平
そうこうしている間に姥ヶ平に到着。今年もやってきたぜ!
会津方面からはどんどん雲が流れてくるので、視界が通るうちに定番ショットを撮る。時間帯的にはまだ十時台で光線条件は逆光なのだが、曇り基調ではあまり関係がないので気にしない(^^;)
周辺を見渡してみると、色づきはかなりいい感じである。
中でもカエデはちょうど見ごろのドンピシャリといったところだった。まだ緑がかった葉も多く、来週末でもおそらくまだ楽しめることだろう。
今年の気候的な特徴は、台風の直撃がなく気温も極端な乱高下がなくなめらかに推移したことである。おかげで木々の葉には傷んだ様子がなく、欠けたり縮れたりというのが少ない。吹きさらしの環境の姥ヶ平で、こんな綺麗な葉をみるのは久しぶりの気がする。総合的にみて、紅葉の当たり年といって良い気がする。
さて姥ヶ平といえばこの脱衣婆の像。今年も相変わらずチャーミング(?)に山を守り続けている。
そういえば昨年、この像がどこにあるのか質問のメールを頂いたことがあった。そこで今回はMAPを載せておこうかと思う。場所は牛ヶ首から下って砂地の広場を抜けた先、ひょうたん池に分岐する標識の根元である。
ここは茶臼岳西側の無間地獄=噴気孔付近から流れ下る枯れ沢の下流に当たり、雨天時には臨時の川が出現する。姥ヶ平の砂地部分はこの枯れ沢を流れ下った水がいったん滞留するところで、脱衣婆はそのほとりに祀られているのである。おそらく枯れ沢を三途の川に見立てて、六文銭を持たぬ死者から衣を剥ぎ取るという脱衣婆が祀られたのだろう。明治の噴火以前のこの付近は高さ10mほどの森林に覆われて保水力も今よりはあっただろうから、もしかすると常時沢水の流れる休憩所みたいな場所だったのかもしれない。
それはともかく、脱衣婆像まで来たらひょうたん池にも向かってみよう。
こちら側に回りこむと、ハイマツに覆われた緑の斜面が正面に見えるようになる。定番アングルとはまたちょっとだけ茶臼岳の雰囲気が変わってくるので面白い。
見ればダケカンバの黄色がいくぶん残ってドウダンの赤といい感じで対比していた。それぞれ見頃の時期がずれているので両方同時にみられるというのはちょっとお得な感じがする。
さて池に着いたのはいのだが、ここでまたもや雲がかかってきてしまった。うーむ…w
しばらく雲待ちをしながらかつての深い森の痕跡(枯れ木)を眺めて時間をつぶす。…といっても登山客は次から次へとやってくるので、後ろに下がっているとはいえあまり長居をするのも申し訳ない。
5分ほど待って一瞬だけ空の青色がみえたので、日差しは無いけれどもささっと撮って池から引き揚げた。経験上こういう状況では粘りすぎても三方宜しからず。適度な見切りは必要である。
そのあとは周辺をいくらか散策してみたのだけれど、再び厚い雲の連続コンボで状況は好転せず。ひとまず紅葉の満足度は70点くらいと見做して、今回はここで撤収を決めた(^^;)
■ 帰路
帰路は三本槍岳方面の雲が厚そうだったので朝日岳巡りは諦めてロープウェイ側に向かった。傘雲は茶臼岳を越えて那須高原側に抜けると消失しているようで、向こう側は視界が通っている。うーむ…朝のうちにこのくらいの状況であって欲しかったな。
そのまま東崖側にくると、すっかり青空模様である。本日に限ってはちょっと遅めに登ってきた人に天気の神様は優しいらしい。…まあ、これはこれで自然の為せる技なので仕方がないけれども。
…来年こそは、ピーカンの青空を期待したいねぇ♪ ヽ(´ー`)ノ
<完>
■ おまけ
さてこれはオマケである。帰路、ロープウェイ山頂駅まであと数百mといったあたりで、にわかにヘリの音が近づいてくるのに気付いた。
周囲の登山客はみな 「ナニゴトですか?」 とキョロキョロ。ヘリはどうやら上空をぐるぐる回ってなにかを探しているらしい。
山頂方面から降りてきた人によると、100mほど先で浮き石を踏んでズッコケた人がいたようで、打ち所が悪かったのか腰が抜けて立てなくなったらしい。場所はロープウェイの山頂駅まで歩いて5分くらいのところで、筆者的には 「ここでヘリを呼ぶの…?」 というのが正直な所感だったが、何が適切かは容体にもよるので論評は控えたい。
上空は結構風が強く、流され気味ながらもヘリはホバリング体制に入った。…おお、みればレンジャー隊みたいな人が降りてくる。赤レンジャーでも青レンジャーでもなく、黄レンジャーとは意外だな(違)。それはともかく、直接ヘリを着陸させないのは接地できるような平地が無いためのようだった。山岳地の救助スタイルとしてはきっとこれがスタンダードなのだろう。
するすると地上に達していったんロープを切りはなし、処置を始める。ズッコケた人…もとい遭難者氏は筆者の位置からは見えないので何をどう処置しているのかは不明である。
間もなく、ぐるぐるの簀(す)巻き状態になった遭難者氏を抱えて引き上げ。さすがはプロフェッショナルというか、手際はすばらしくスムーズだ。筆者はヘリでの救助活動というのは初めて見たけれど、こんなふうに行うのだな。
収容後、ヘリは疾風(はやて)の如く去って行った。どこの病院に向かうのかは分からないが、ともかく大事には至らぬよう無事を祈っておきたい。南無南無…
さて以下は余談である。この日、那須での救難ヘリ出動は3回あったらしい。栃木県の防災航空隊には今回救助に来たベル412型 「おおるり」 1機しかないので、同時に複数の救助要請があった場合は民間ヘリ会社も動員して救助を分担することになるらしい。
ここで問題になるのがその費用で、公共機関の防災ヘリは税金で賄われるので請求は無いそうだが民間ヘリ会社ではフライト1時間あたり50~80万円くらいの請求が来るという。遭難場所がわからず現場までの往復1時間+捜索3時間となった場合ざっと200~300万円(^^;) どのヘリに当たるかはその日の出動状況によって異なり、遭難者が選ぶことはできない。
そんな訳で、あまりカジュアルに 「ヘリで救助してヨ~♪」 なんてことをすると大変なことになるのである。
ところでヘリでご本人が運ばれた後も、警察と消防の地上班が現場に登って何かをしていた。おそらくは現場検証なのだろうと筆者は思ってみたが、いずれにしても救難活動は 「運んで終わり」 で済むものではなく、結構面倒なものであるらしい。
さらにロープウェイで山麓駅まで降りるてみると、こちらにも警察と消防が控えていた。結局使われなかったけれども救急車も来ている。一人を救うためにいったい何人の専門家が投入されたのかよく分からないが、人命に関わることであるから彼らは出動が掛かれば観光渋滞があろうとなかろうと此処までやってくる。…いやもう、本当にお疲れ様です。
…というか、いったん事あればこれだけの人を巻き込んでしまうのだから、やはり遭難と言うのは大変なことなのだなぁ。筆者も山に入るときは、努々(ゆめゆめ)注意しなければ…と思ってみた(´・ω・`)
<おしまい>