2024.02.23 窮乏のサンフランシスコ路(前編その8)
■フィッシャーマンズワーフ

そんな次第でフィッシャーマンズワーフである。今朝も来たのでなにやら非常なるデジャヴ感があるな(笑) そもそもフェリーターミナルはフィッシャーマンズワーフの中心施設であるピア39に隣接しており、乗客は下船すると自動的にお土産売り場に誘導されるつくりになっている。世の中はよくできているものだ。

とはいえ荷物を携帯しにくいチャリ旅で、最後のゴール付近に買い物スポットがあるのはまあ悪い選択肢ではない。 四の五のいわず寄っていこう。

朝方は無人地帯だったものの、夕刻ちかくなると人出は多い。営業時間は午前10時からだそうで、道理で8時に来ても誰もいなかった訳だ。賑わい感を期待するなら午後に訪れるくらいでちょうどよいのかもしれない。

埠頭内には自転車は入れないので、歩道にある手すりのようなオブジェにゴツイ錠前型ロックで固定していくことにする。サンフランシスコに多くある謎のオブジェは、こうして自転車やキックボードをロックすることを想定して置かれている。

おお何だろう、この能天気な雰囲気(笑) 2月なのに夏っぽい雰囲気で溢れている。
一般人の認識するカリフォルニアのイメージって、おおむねこんな感じだよな。

実際には泳げるような水温ではないけれど、やはり西海岸というと水着+サーフボードということになるらしい。観光地はこのくらいコテコテな演出で丁度よいかも。

埠頭内はとにかくよろしく観光が新興されている。ショップが多すぎて海がほとんど見えないのはまあ仕方がないとして、客層はカップルかファミリー層が7~8割くらいで、一人旅で訪れると微妙な感じがする。 欧米では "おひとり様" というのは "モテない奴" とほぼ同義なので居心地がよろしくないのだ(笑)

お土産はいろいろ並んでいるが、何故かどこに行ってもポケモングッズがある。
任天堂の影響力ってどこまでスゴイのやら。

食べ物系では何故かチョコレートが猛烈にたくさんあった。それもゴツいブロックチョコが山盛りで並んでいる。日本のように "綺麗に包装しましょう" なんてセンスは無く、ラップで包んだだけの大雑把さがこの国らしい。ただし全体的に高額で、さすがに板チョコ一枚5000円とかでは手を出しようがない。

筆者に買えるのは……せいぜい一桁ドル台のキーホルダーくらいかな。

ショップの奥にはゲームセンターもあった。
ポケモンにマリオ……うーむ、ここでも任天堂パワー恐るべし。

米国勢コンテンツとしては、本家マーベル軍団が頑張っていた。最近は全部まとめてアベンジャーズなので 「このヒーロー誰だっけ?」 という感じになっているけれども、やはり本場ではアメコミのほうがしっくりくる。

中央広場にはメリーゴーランドがあり、大道芸人のパフォーマンスなどもやっていたが子供たちが並んでいたのでさすがに割り込むのも気の毒だと思いスルー。

埠頭の先端まで行くと、ヨットハーバーがあり、落ち着いた風景がみられた。
筆者的にはこういう雰囲気のほうが良いな。ちょっと期待していたアシカの姿は見えなかったけれども、まあ贅沢は言うまい。

見れば今から出ていく船がある。
釣り客ではなさそうで、おそらくサンセットクルーズなのだろう。 昼間に大量に涌いていた一般クルーズ船はみな戻ってきており、このタイミングなら余計な船影のない美しい夕日が見られるような気がする。

その向こうには、アルカトラズ島が見えていた。元は刑務所なのだけれど、なぜか人々はロマンチックな何かを感じるようだ。このあたりは、本当に人それぞれだな。
しばしここで日の傾いていく海を眺めてみた。日本のように工業港ばかり整備する実務型もまあ悪くはないけれど、ヨットハーバーがあって気軽にクルージングが出来る港というのも良いものだ。
実際に舟遊びに出るにはいささか出費を覚悟する必要があるとはいえ、それが出来てしまうこの国は、やはり基本的に豊かなんだろうな。
■ 1日の終わり

さて気分的にはもうしばらく埠頭から夕日を眺めていたいところだったが、"借りたものは返さねばならぬ" という掟があるので、閉店前に手続きを終えるべくピア39を後にした。 ……結局大した土産は買っていない気もするが、まあそこはそれ(笑)

レンタル屋に戻ると 「サイクリングは楽しかったかね?」 と聞かれたので 「いえーす、ぐっとれーぃる♪」 と返答。係員はもっとスイスイと走りぬいて午後1時のフェリーで帰ってくるものだと思っていたらしく、筆者はその理由をこの後に思い知るのだが(笑)、とりあえずトラブルもなく返却手続きは終わった。やれやれ。

その後はケーブルカーのターミナルに移動。おお、また転車台を手動で回転させているな。一日中これを繰り返すのって結構な労働だ。世間のブルーカラーに幸あれ。

さてケーブルカーの乗客の列は異様に長かった。一度に乗車しきれないのでしばらく待つ。そのうちに日が暮れてきた。

この位置からだと水平線に沈む夕日というのはみえない。しかしまあ、茜色に染まる空を堪能することはできたのでヨシとしよう。
余談になるが実はこの時期のサンフランシスコは気候的には雨季にあたっている。ホテルの料金が(筆者にとっては充分に高いのだが)比較的安く設定されているのは、晴天率が低く旅行需要がない裏返しともいえる。それが本日はほぼピーカンの青空だったのだから、天気の神様には感謝しなければならないだろうな。
■なぜか突然、中華の宴!

さてこの後はようやく搭乗できたケーブルカーに揺られて帰路に就いた。朝方はタダで載せてもらえたが帰路はちゃんと運賃の支払いチェックがあり、CLIPPERカードをリーダーにかざしてピピっと支払いを済ませる。
ちなみにウクライナで戦争中という事情が関係しているのか、ロシア語を話す客には念入りに 「チケット持ってるか?」 「カードを見せろ」 とのチェックが入っていた。 戦争とは関係なくロシア語圏の連中は素行がろくでもない奴が多いだけかもしれないが(笑)、自由とか平等とか言っている割に人種毎の扱い方には差がある。

そのまままっすぐにホテル方面い行ってくれればよかったのだが……困ったことにケーブルカーは途中で停止してしまい、乗客は全員降ろされてしまった。 理由の説明はなく、単に 「降りろ」 と言われるばかり。

場所はチャイナタウンのど真ん中だった。ホテルまでは1kmくらいなので真っすぐ歩けばたいした距離ではないのだが、交通規制があって回り道を強いられるようだ。こういう時にGPSがあると本当に助かる。

ただチャイナタウンの治安は、お世辞にも良いとはいえない。なるべく人通りの多いところを通ってホテルまでたどり着かねば。

……ということでなんとかユニオンスクェアあたりまで戻ってくると、ドンドコ、ドンドコ…と音楽が流れている。やがて山車(だし)のようなものに乗った男どもが現われた。どうやら何かのイベントが開かれているようだ。
ちなみに車体に書いてある "Lucky" のロゴは地元の中華系スーパーマーケットの商標で、おそらくはスポンサーなのだろう。乗っているのは地元選出の政治家のようだ。

つづいてやって来たのは中華ドラゴンの山車にチャイナドレスの御婦人。ここで筆者は気が付いた。ああ、これはチャイナタウンの春節パレードではないか!

よくみれば確かに "Happy Lunar New Year" と書いてあるな。 Lunar(ルナ) とは月のことで太陰暦を指す。つまり旧正月版の 「あけましておめでとう」 ということだ。今年の旧正月は2/10(※)で本日はもう3週間以上が経過しているのだが、中華街では2月いっぱいが旧正月のイベント盛り盛りの季節で、最終週の週末にパレードが行われる。筆者は偶然にもその春節パレードの日にここに来てしまったらしい。
昼間世話になったレンタルサイクル屋の店員氏は、筆者がこれを見に来たのだろうと思っていたようだ。実は出発前、筆者は午後1時サウサリート発のフェリーで戻ることを勧められていたのだが、もしそれでサッと戻ってきていたら、パレードを最初からみる機会があっただろう。
※旧正月は太陽暦とは一致せず、毎年日付が変わる。概ね1月後半~2月中旬頃で、2024年は2/10、2025年は1/29、2026年は2/17…となっている。

ちなみにここで開かれる春節パレードは中国本土を除けば世界最大であるらしい。もともとはゴールドラッシュと大陸横断鉄道建設の作業員として中国人がやってきたのがチャイナタウンの起源で、春節の祭りは彼らが持ち込んだ文化の一端である。
それに比べると日系人はアメリカの文化に溶け込みすぎて、独自の文化的な主張というのをあまりしなかった。一応リトルトーキョーと呼ばれる地区はあるのだけれど、中華街ほどの存在感はない。

余談になるが中国人たちは市街地形成のごく初期の頃から入植していたため、のちに巨大化した都市圏の中でも中心部に近い有利な位置にチャイナタウンを持った。人口比ではサンフランシスコ住民の20%程度が中華系になる。
米国では中国人排斥法(1882-1943)なる物騒な法律が制定された時期があり、これに対抗して彼らは日常会話は中国語を用い、タウン内だけでコミュニケーションが完結する社会をつくりあげた。これが、現在に至っても中国文化を強烈に保持している理由の一端らしい。良くも悪くも、たくましい連中だな。

パレードの最後は派手な打ち上げ花火で締めくくられた。筆者的には 「おい、その高さで打ち上げるのか?」 とツッコミを入れたくなるようなファイヤー具合だったが、まあ隣接するビルの住民氏は至近距離で爆撃を喰らうような迫力満点の花火を堪能できたことだろう。
■宴の後

しかしそんなに盛り上がった春節パレードも、花火が終わると途端に人の波が引いてしまった。 これだけ大きなお祭りがあったのに、余韻もへったくれもなくサッと引き上げてしまうあたりに、サンフランシスコという街の治安具合が現われている気がした。
ちなみにこの日の夜も、銃声とパトカーのサイレンの音は響いていた。好意的に表現すれば 「ブレードランナー(映画)みたいな街だねぇ」 ともいえるけれども、「住みたいか?」 と問われたら答えは No だな(笑)
<後編につづく>