2024.02.23 窮乏のサンフランシスコ路(前編その4)




■ チャリの旅




ではまず本日のサイクリングコースの概要を説明しておきたい。

出発地はサンフランシスコ海事国立歴史公園で、ここからサンフランシスコ半島の北辺を西に向かって移動し、フォート・ポイント(昔の砲台跡)に至る。ここからゴールデンゲートブリッジを渡り、対岸のサウサリートまで北上、そこからはフェリーに乗ってフィッシャーマンズワーフに戻るというものだ。サイクリングコースとしてはざっくり12kmほどで、サンフランシスコ観光としては標準的なコースのひとつになる。

標準といっても決まった道順がある訳ではなく、レンタル屋の営業時間中に帰還できれば寄り道は自由だ。そのレンタル屋でも特にコースMAPを渡してくれる訳でもなく、復路をフェリーにすれば海の観光も出来てお勧めですよ程度のことしか言わない。

まあ12kmという距離感は相当にゆっくり走っても1時間くらいで走ることができる。であるからには、寄り道にもそこそこ時間を割けるだろう。



 

■サンフランシスコ海事国立歴史公園




さてそれでは行ってみよう。最初はレンタルサイクルにほどちかいサンフランシスコ海事国立歴史公園だ。海運、海軍の歴史に関わる記念公園で、展示館はいろいろ充実しているようなのだが開館が 10:00 と遅いため今回は景色を優先して見学はスルーしている(ひどい!w)




公園は狭義には帆船などのの係留されているアクアティック湾の付近のような印象だが、実質的にはガスハウス湾の手前まで、グレートメドー、フォートメイソンを含む領域を包含しているようにみえる。ちなみにフォートメイソンのフォートとは城砦とか基地のことで、第二次大戦中の米海軍が使用していた。現在は記念館になっているが、ここも営業時間外なので中身はスルーだ。




公園は広々とした芝生の中をサイクリングコースが走っており、開放感がある。もうあと1日滞在時間がとれたなら、帆船の内部なども見てみたかったところだが、致し方なし。




ところでこの日、公園には多数の人が集まっていた。どうやらショートマラソン大会が開かれるようで、ちょっとしたお祭りのような雰囲気になっていた。




お祭りといっても屋台のようなものは出ておらず、受付や運営本部らしいテントがいくらか並んでいる程度だ。なぜかピカチュウの着ぐるみのようなものを持っている人がいて、ポケモン人気の片鱗のようなものが感じられる(笑)




ここの本来の見どころは、海事に関わる展示ということで昔の帆船の係留されている桟橋と史料館になる。もうひとつ向こうのピア45には第二次大戦当時の輸送艦や潜水艦もあるのだが、やはり営業時間前なので見学は出来ない。



そんな次第でここから見えるものを見て我慢するしかないのだが、それにしても砂浜のすぐ近くに船が見えるのは面白い風景だ。 我々が知っている "港" とは一般に近代港で、大抵はコンクリートで護岸が固めてあり海底も浚渫してある。 しかしかつてはこういう砂浜基調の海岸に桟橋を伸ばして、船が座礁しない程度に水深のあるところに停泊する形式の港が多かった。

サンフランシスコ湾は入口が狭く内水面が広いため、波も穏やかで船体の暴れが少なく、簡易な桟橋でも船を横付けできた。 外洋に直接面していたロサンゼルスなどに比べて、とくに西部開拓時代には港をひらくには有利だったことだろう。当時の港は、いまここで筆者が見ているような状況だったはずだ。




公園の面するアクアティック湾は、そんな砂浜が続いている。こうしたレトロな雰囲気が残っている点で、ここは確かに史跡公園なのだろう。




そんな砂浜の砂をひとすくい。お金もないことだし、こんな土産もまた一興……かな。



 

■鉄人発見




さてまだ営業時間になっていない展示館はスルーして先に進むと…




おお、いい感じに停泊中のヨットと帆船が並んで見えるスポットがあった。観光用のクルーズ船が動き出すと視界の邪魔になってしまうが、今なら余計なものはいない。 いくらか写真を撮っておこう。




……などと思っていたら、さっそくアクティブな人が現われた。
というか今は2月なんだけど……海で泳ぐってどれだけ鉄人なんですかアナタは(笑)

鉄人出現のついでに海水温を調べてみると、サンフランシスコ近傍は寒流が流れているため夏でも水温は16℃、冬季は12℃くらいで泳ぐにはかなり冷たい。 こんなところで敢えて海に入るのは、やはり脳筋鉄人と言わねばなるまい。

ちなみにスポーツ水泳では25~28℃が適温とされ、文科省の定める日本の学校のプール水温の基準は22℃以上となっている。 実は西海岸といっても海水浴に適しているのはロサンゼルス以南の暖流のくる地域で、サンフランシスコ付近では 「日光浴はしても泳がない」 人が多い。これはちょっと驚きだな。




■フォート・メイソン




アクアティック湾を過ぎると、海に突き出した桟橋とその上に立てられた倉庫のような建物がみえてくる。ここがフォート・メイソンだ。 昔の海軍基地の跡地である。さきほどの史跡公園の延長のような位置関係にある。




桟橋の後背地は現在では広大な芝地になっていて、市民の憩いの場となっている。




おお標識も立っているな。 ちなみに Piers 1-3 とあるのは商業港であるサンフランシスコ港とは別カウントになっている。ここは軍港だったので区分が異なるようだ。




解説板も立っているので見てみよう。かつてはこんな感じで軍艦が横づけして物資を積み込んでいたらしい。この写真では背後にいろいろと付帯施設がみえているが、いまではみな取り壊されているようだ。




1920年の写真には大量のコンテナが写っている。パナマ運河の開通は1914年で、開通直後に第一次世界大戦が起こり商業海運は低迷したものの、1920年頃には利用が増加に転じている。写真に写っているのは大戦が終わった後の貨物輸送が盛んな時期のものだろう。

船運は大量の荷物を少人数で運搬できたので非常に重宝されていた。輸送手段としては先行して大陸横断鉄道が開通していたものの、やはり船運の物量インパクトは大きかったようだ。




そんな昔日に想いを馳せていると、ショートマラソン大会のランナーたちがどどっと流れてきた。 並走していいものやら悩ましいところだが、筆者と同類のチャリ野郎も走っているので気にしないことにしよう。 彼らはいくつかのグループに別れて時間差をつけて走っているようで、長々と列をつくっている。




それにしても解放的ないい景色だ。 無駄に領土が広い国だからなのか、いちいち細かく空間を区切る日本と違い、なにもかもが大雑把で構造物の単位がデカい。



 

■マリーナ・グリーン周辺




やがて公園を抜けて、マラソンの列はマリーナ・プールバードと呼ばれる湾岸道路を流れていく。 筆者は目下のところゴールデンゲートブリッジ方面を目指していて、べつにマラソンと並走する必要はないのだが(笑)、向かう方向が一緒なので同じ道を進んでいる。

見ればここも無駄に道路がひろく、なんと自転車+歩行者兼用の日本でいうところの "歩道" がクルマ2車線分の広さで整備されている。こんな状況だから、日本のマラソン大会のように警察や交通整理要員が出動する必要がなく、先導するパトカーなどもいない。たまに大会スタッフらしき人がいて 「ハイハイ、こっちですよ~」 とやっているくらいだ。




面白いことに、マラソン大会ではあるけれど信号があれば皆そこで一時停止する。 どうやらタイムや順位を競うようなものではなく、純粋に走ることを楽しんでいるようだ。 筆者もとくに急ぎの用事はないので、のんびりと同じように進んでいく。




海側をみれば、遙か向こうにゴールデンゲートブリッジ、手前にはまたもや広大な芝地がある。ここはマリーナ・グリーンと呼ばれていて、ヨットハーバーに隣接して設けられたものだ。非常に広大で、長さは500mほどもある。

ここではたまにフリーマーケットなどが開かれるそうだが、基本的にはただの芝地で、特定の用途はない。 こういう空間的な贅沢ができるというのは、やはり国土の広いお国柄ということになるのだろうか。




その向こう側に、ヨットハーバーが見えてきた。 個人所有のヨットの他に、クルージング業者の船もあるらしい。 ホームレスのたむろする市街地中心部を見た後にここに来ると、なにやら世界観が違ってみえるな。 生活水準が違い過ぎる。




この付近では住宅も大き目で、3階建て、4階建てが当たり前のようにある。集合住宅のようなものはなく、みな一戸建てだ(※)。 きっと裕福な人々が住んでいるのだろう。

※集合住宅は部屋数分の広い駐車場を伴うので区別がつく。個人宅は駐車スペースが玄関脇にあるか、1階部分をガレージにしている。




それ以外にも、ここでは興味深い風景を見ることが出来た。海面水準と道路の段差がほとんどないのである。 ついでに言うと堤防構造もない。つまり津波や高潮の危険性は認識されてない。

東日本大震災の津波を経験している日本人としては 「これ大丈夫?」 と思ってしまうけれど、サンフランシスコは地震の多い土地柄ではあっても実は津波の被害というのはほとんど受けたことが無いそうだ。



まあ仮に緊急事態が起きたとしても、逃げ先には困らないくらいの高台はある。サンフランシスコ湾は入り口が小さく奥が広いので、仮に津波がやってきても湾内で拡散してしまうのかもしれないな。


<つづく>