2024.02.23 窮乏のサンフランシスコ路(前編その6)
■ウェルカムセンター

さて電動アシストの恩恵を感じながら坂道を登ってウェルカムセンターにやってきた。ここには市内から伸びる路線バスの停留所があり、駐車場も広いのでゴールデンゲート・ブリッジを見る旅行者はまずここにやってくる。

といってもここは基本的にお土産屋さんなので、資料館のような知的好奇心を満たす要素はない。ついでにいうと自転車でこれから何キロも走るのにここで荷物を増やすのも得策とは思えない。ということで、筆者の財布の紐は硬いのである(笑)

お食事処は展望カフェが一カ所だけ。屋台のようなものは何も無い。

唯一のカフェなので当然の如く長蛇の列が出来ていた。
見れば作り置きのサンドイッチや菓子パンなどの棚は既に空になっている。厨房はパンク状態のようで全然処理が追いついていない。30分ほども待ってみたけれどこれは無理だなと判断、水分補給用のゲータレードもどきだけ買って退散した。 これに比べたら日本のマクドナルドの客さばきの何と優秀なことよ。

気が付けばもう午後1時になっている。 広場には橋の歴史などの展示がいくらかあったけれどじっくり読んでいる暇はなさそうだ。とりあえず先を急ごう。
■ゴールデンゲート・ブリッジを渡る

さて筆者はいまゴールデンゲート・ブリッジの入り口にいる。当初は橋の写真を撮れればOKという意識で 「渡る」 なんてことは考えていなかったのだが、レンタル屋の口車に乗ってここにいる訳だ。 しかしまあ、まあナニゴトも経験なので行ってみよう。

……と、出発しようとしたら警備員らしい制服のおっさんに 「そっちじゃない」 と止められてしまった。 どうやら歩行者と自転車ではレーンが別になっているようで、筆者は向こう側を走らねばならないらしい。しかも向こう側に渡るには、いったん下に降りてトンネルをくぐらなければならないのだ。……いきなりハードルが高いな!(笑)

そんな儀式を経て、無事に自転車レーンに入って走り出す。橋は上り/下りが3レーンずつ、計6車線で構成されている。そこに自転車用と歩行者用のレーンが入って幅は約25m。起工は1933年、開通は1937年で、世界恐慌後の経済対策であるニューディール政策の一要素として建設されたものだ。
ここは北⇒南方向で通行する場合は通行料が7ドルほどかかるのだが、南⇒北方向に通行する場合は無料という変則的な有料道路になっている。ありがたいことに自転車は無料で、筆者も特段料金は支払っていない。

橋の路面は海面から67mほどあって、サンフランシスコ市街がよく見渡せる。

そして眼下には、いつのまに涌いて出たんだと思うくらいにヨットが増殖していた。アメリカ人は一般に早起きだと思っていたけれど、どうやら活発に動き出すのは昼近くなってからのようだな。朝の風景だけ見て 「寂びれてる」 などとは思わないほうがよさそうだ。

ヨットは主に湾内をクルーズしていて、外洋(太平洋)に出ていくものは少ない。干潮/満潮によって湾内⇔太平洋で潮の流れが切り替わるようで、ちょうど今の時間帯は湾内から太平洋側に水が流れていた。ヨットなどはいったん湾外に出てしまうとこの流れに逆らって戻ってくるのは難しいのではないかな。

高い位置から見渡して面白いのは、湾岸の植生だろうか。ほとんどが草地で樹木はわずかしかない。高木の繁茂しているのは海風の当たりにくい内陸側の斜面で、植物学の研究をしている人ならきっとこの風景を興味深く咀嚼することができるだろう。

などと思っているうちに対岸が見えてきた。崖面のアップダウンがあるので橋の長さは海峡より長く、全長は2.7kmあまりある。 この距離は自転車でストレートに走れば20分未満で余裕で抜けられるくらいのものだが、それだと勿体ないので筆者は意図的にゆるゆると走ってみた。

橋を渡り終えると駐車場があり、ここから道がいくつか分岐する。

フェリーの発着場があるサウサリートへは2.9マイル……との標識がある。筆者は当初、もうすこし北上してから分岐するものだと思っていたのだが、それは一般車道で、歩行者とバイク(たぶん自転車も)はこちらに行けということらしい。
面白いことに標識では "馬は乗り入れ禁止" になっていた。いまどき馬で通行する奴なんているのだろうか……いやまあ、アメリカだしな(笑)

矢印の先は、このクネクネと橋の下に降りていく道につながっている。

とりあえず、行ってみよう。
■サウサリートへの道

さてここからは超ローカル道をハシゴしていくことになる。地図をみると コンゼルマン・ロード、ムーア・ロード、センター・ロード、イースト・ロード……と数百m単位で名前の変わる道を繋いでいくようなルートになっている。

こういう土地勘のないところに放り出されたとき、スマホのGPSで位置を確認できるというのはありがたい。 レンタカーであればカーナビが使えるけれど、チャリの旅ではスマホが命となる。

道の名前がセンターロードに変わったあたりで、ひろびろとした草地が現れた。ここはフォート・ベイカーと呼ばれる米軍駐屯地の跡で、隣接してカバロ砲台、イェーツ砲台がある。今ではロッジ風のホテルが建っていて、いい感じのリゾートエリアになっている。

見ればデイジーに似た草花が咲いている。まだ2月ではあるけれど、春の足音は聞こえているらしい。

おお、また標識か。わかりやすくて助かるな。ここからはイースト・ロードだ。

イースト・ロードに入って300mくらいでカバロ砲台跡があるのだが、今は何も残っていない。 砲台が置かれたくらいだから眺めはよく、むこうにエンジェル島がみえる。
ゴールデンゲート・ブリッジが出来る前はサンフランシスコ湾の南岸(中心市街地)と北岸はフェリーで結ばれていて、その北側の拠点がサウサリートだった。この港が失われるとサンフランシスコ湾の南北が分断されてしまうため、砲台を置いて防衛しようとしたのが此処(ここ)であったようだ。

時代は変わって、砦や砲台の跡地は平和の配当として保養地に転用されている。
繰り返しになるけれども、本日筆者が走っているのはそれをなぞっているようなコースになっている。

まあ狙ってそうした訳ではなく、おすすめコースを徒然(つれづれ)なるままに走っていたらそうなっていた……というものだけど、視界が通る場所=砲撃に適した場所と考えると、なかなかに興味深いものだな。
■ 市街地に入る

砲台跡をすぎるとしばらくは無人地帯を行くことになる。この付近は港をつくるには少々険しい地形が多い。 高台から敵を撃つ砲台は設置できても、船着き場には向かない。港は峠を越えた先の小さな平野に開けている。

やがてぼちぼち民家が増え始めた。そろそろサウサリートの領域に入ったらしい。

市街地に入るとメインストリートなるものがあって、町割りをみるとどうやらこの付近がサウサリートのかつての中心地らしい。現在ではフェリーターミナルは800mほど北に移転しているが、最初の港はここにつくられている。

サウサリートの旧市街は規模は小さいながらも条坊制で区割りされ、サンフランシスコと同じ都市計画思想が感じられる。 メインストリートの先端部にはおそらくオリジナルの埠頭があった筈だが、現在は撤去されている。

道路脇に何かが咲いていたのでよくみると、なんと桜であった。もう花の季節なんだな。今回筆者は季節的には大外れのオフシーズンという覚悟で来たのだけれど、温暖化の影響なのか2月の末で桜をみることができた。

桜の木からちょっと海側に入ると、いかにも元は桟橋がありました的な雰囲気の一角がある。ここがメインストリートの終端で、本来ならこに交差する形で1番通り(1st St)があった筈なのだが、今はなくなって海浜デッキ(遊歩道)がつくられている。
おかげで旧市街を縦貫する主要路は2番通り(2nd St)になってしまい、ここだけコの字型に抜ける変則的な町割りになっているのだが、まあそこはそれ。 かつてここから伸びていたであろう桟橋を、心の眼で思い描いてしばし景観を愉しむ。

この旧市街を抜けるとやがてフェリーターミナルとヨットハーバーが見えてくる。100年前にはサンフランシスコ湾の交通の要衝だったフェリーターミナルも、現在では観光遊覧船にちかい位置づけになって桟橋はひとつだけが稼働している。
代わりに拡大しているのがヨットハーバーで、エンジン付きのクルーザーっぽいのも含めると200隻以上が係留されている。どういう人が所有しているのか想像のしようもないけれど、地元の在住者が自家用車並みの感覚で持っているのだとしたら、その裕福さには 「すげー」 としか言いようがない。

旧市街からフェリーターミナルまでは、アレクサンダーアベニュー、サウスストリート、ブリッジウェイを抜けていく。事実上一本道なのだが、なにかの謂れがあるらしく名前は複雑になっている。このあたりはもう完全に高級住宅街で、ホームレスなどはいない。
地勢としては斜面ばかりなのだが、斜面のおかげで視界が稼げるので別荘地のようにみえる。

ここから見るサンフランシスコ湾は遠景に都市景観のある穏やかな海で、クルーザーやヨットが遊弋する。ゴミゴミしすぎない、いいところだ。

やがてちょっと高級な土産物店がならぶ一角に到達。ここの向かい側がフェリーターミナルになる。いやー途中いささか心配だったけど、意外にすんなり到着したな。

時刻は午後2時。冬なのでもう西日気味になっては来ているが、まだそこそこ日は高い。ここからは帰路の船に乗る。いい光線条件でクルーズに出られれば良いのだけれど。
<つづく>