2024.02.25 窮乏のサンフランシスコ路(後編その5)
■SOMA~マーケットストリート

オラクルパークを過ぎた後は、マーケットストリートまで進んでサンフランシスコ市庁舎を目指していこう。もうあとはめぼしいチェックポイントは市庁舎くらいで、異国の街並みの雰囲気を眺めながら進んでいく。ここから先は治安のあまり良くない地区を走るので一カ所に長居はせずに走り抜けていくことにしよう。
最初に通過してくのはマーケットストリートの南側という意味でSOMA(South of Markest)と呼ばれているエリアだ。 強盗やひったくり事件が多発しているところで、その向こう側には治安最悪といわれるテンダーロイン街区がある。

まずはサードストリートを西に向かって進んでいこう。ここはSOMAの中でも金融街に近く治安は比較的マシなほうとされるが、休日だというのに歩いている人はいない。一本向こうのフォースストリートから先は昼間でもゴロツキがうろうろしているらしいので避けていく。

道行く人はクルマでさっさと通り抜けるか、さもなくば電動キックボードなどで走り抜けている。 治安が悪いとは言っても街ゆく人のすべてが襲われている訳ではなく、犯罪が多発するのは日没以降が多い。昼間のうちなら逃げ足の機動力があればなんとかなる。

やがてハイウェイの高架橋がみえてくる。高架橋の下にはホームレスのテントが点在しているが、それ越えると近代的なビル群が並んでスラム感は薄らいでいく。

ミッションストリート(=マーケットストリートの1本手前)まで来ると、ぼちぼち歩いている人を見かけるようになった。このあたりは再開発があったようでビルの外観も新しい。窓に反射する空の美しいことよ。

やがて主要道であるマーケットストリートに抜けた。もっと危なそうなところかと思ったのだが抜けてしまえば一安心。ここからは南西方向に走っていこう。
余談になるが人口10万人あたりの犯罪件数をみると、サンフランシスコの凶悪犯罪(殺人、強盗、放火など)は日本の13倍、同じく窃盗犯罪は19倍ほどあって桁が違う。サンフランシスコの犯罪発生率はアメリカ国内でも飛びぬけて高く、全米平均のざっと3倍くらいの水準だ。

ただしモノは考えようで、これを犯罪に遭遇しないで済む生還率または回避率として表現すると、凶悪犯罪ではサンフランシスコ=99.3%、日本=99.9%なのである。 つまりいずれも99%以上の人は犯罪を回避できている。
だから安心です、などと言うつもりはないけれど、犯罪の被害者になるのは確率論からいえばレアケースであることは理解しておこう。
■連邦政府庁舎とシビックセンター・ゲームパーク

まもなく連邦政府庁舎がみえてきた。金融街からの距離は3kmくらいで、ここがサンフランシスコの行政的な中心ということになる。

周辺状況はこんな感じで、シビックセンタープラザなる公園のようなスペースを囲んで公共施設が集中している。妙に劇場ばかり多い気がするけれど、それだけ文化事業には手厚いお国柄なのだと解釈しておこう。

連邦政府庁舎の正面にはスケートボーダーが集まるシビックセンター・ゲームパークなる広場がある。市民(シビック)センターなのにゲームパーク?……という疑問が湧いてきそうだが、官公庁街のことをシビックセンターといい、そこにある広場という程度の意味らしい。
その向こうにはサンフランシスコ市庁舎がみえた。単なる "市役所+市議会" なのだが非常に重厚な建物になっている。オリジナルは1906年の地震でいちど倒壊し、その後のサンフランシスコ万博(1915)のときにやや気合を入れて豪華に再建された。
筆者はこれをみて 「へえ」 と思ってみた。日本で市役所クラスの建物をこんな仕様にしたらおそらく 「贅沢だ!」 と 非難が殺到するだろう。しかしアメリカ人はたとえ市議会程度でも民衆の代表のあつまる施設を立派につくることを容認するのである。
その背景には、これが建てられた当時のアメリカが建国130年くらいで歴史遺産の蓄積に乏しかったことも大いに関係している。自由とか民主主義という思想的なものをこういう形でモニュメント化するのは歴史の浅い国の本能のようなものだ。"千年遺跡" なんてものがゴロゴロしている国の人間に、かれらの渇望を真に理解することは難しい。

その手前に、何か銅像が立っていた。筆者はあまり気に留めずにこのロングの写真しか残さなかったけれど、実はこれはシモン・ボリバルの像である。どちらかといえば南米のヒーローなのだが北米でも銅像化される程度には尊敬されているらしい。

参考までに簡単に紹介しておきたい。この人物はスペインの支配下にあった南米植民地を次々と独立させた政治家である。フルネームを シモン・ホセ・アントニオ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ボリバル・パラシオス・ポンテ・イ・ブランコ(長い!)といい、ベネズエラ、コロンビア、ボリビア、エクアドル、パナマ、ペルーなどの独立功労者として知られる。とくにボリビアでは国名の由来ともなった。
その南米の英雄がなぜ北米で銅像になっているのかはよくわからないのだが、南米諸国が独立を果たしたのちに南北アメリカの新興国を集めたパナマ会議というのをシモン・ボリバルが呼びかけて開催しており、そこにはアメリカ、メキシコ等も招待されている。もしかするとその流れで、広い意味でのヨーロッパからの独立を象徴して敬意を表されているのかもしれない。
※肖像画はWikipediaのフリー素材を部分引用 (El Libertador en traje de campaña. 1895. Oleo sobre tela. 240 x 126,5 cm. Asamblea Legislativa del Estado Anzoategui. 1895.)

しかしながらこのとき筆者はあまり真面目に事前リサーチをしていなかったので、目前でスケートボードでヒャッハーする兄貴たちのほうに眼が行っており、そっちの写真を主に撮っていた(笑)。 せっかくの歴史モニュメントも予習がいい加減だと勿体ないことになってしまうな。今後はすこし反省しよう(笑)

それにしても連邦政府庁舎の眼の前にスケボー広場があるというのがいかにもカリフォルニアらしい。日本でいえば霞が関の省庁街でヤンキー兄ちゃんが 「ウェーイ」 とかやっているようなもので、こういう状況が許容されるのも西海岸文化だからのような気がする。
■ X(旧Twitter)本社~落書きアートのエリア

さて官公庁街をすぎてほんの100mほどで、X(旧 Twitter)の本社脇を過ぎる。WEB上では 「テンダーロイン地区にある」 という記述をみかけるがそれは誤りで、区分するならSOMAの南端側と言った方が正確だ。派手な看板などは出ておらず、巨大企業の割に地味な建物だった。
※ちなみに大富豪イーロン・マスクによる買収ののち、同社の社員は半分以上がクビになってしまった。アメリカという国は政治理念は民主共和制でも経済原理は専制政治的に廻っているらしい。

そこを過ぎると、やがてマーケットストリートはセントラルフリーウェイと交差し、そのセントラルフリーウェイはオクタビアストリートと名を変える。筆者はここで北側に折れてオクタビアストリートを進む。なぜそんなコースを進むかというと、これから自転車を返却する店がそっちの方向にあるからだ。

あたりはもう高層建築はみられなくなり、郊外感が増してくる。思うにサンフランシスコという都市は金融街~官庁街の3kmくらいのあたりに都市機能が集中していて、そこを外れると一気に低層住宅街になってしまう。日本で言えば政令指定都市くらいの規模だから、都市圏としてはまあ妥当な水準かもしれない。

さてオクタビアストリートはこのまま北に抜けられるのかと思いきや、通行止めになっていた。通りの終点には小さな公園があり、ここから先は再開発待ちといった風情だ。
あとから分かったのだが、ここから先はウェスタンアディションと呼ばれる治安の悪い地区で、観光案内書ではあまり行かないほうがよいとされている。区画が1ブロック異なるだけでずいぶん違うものだな。

公園の進入禁止サインのところまで進んで横道に逸(そ)れると、なにやらラクガキが大量にあった。 ポップアートに興味がある人なら立ち止まってしまいそうだが、実はこういうラクガキのあるところは治安に問題があることが多い。

そんなわけで、筆者も写真をとったら長居はせずに移動開始する。近代的な街並みがいきなりこんなスラムっぽい雰囲気になるのがアメリカの都市の怖いところだ。窓に鉄格子が入っているところも強盗や窃盗が多発している地区なので避けたほうがよい。

ちなみに鉄格子というのはこういうやつだ。単なる飾りに見えるけれど窓を割って侵入されないように防犯意図をもって設置されている。 いやはや。
■ヴァンネス・アベニュー

さてラクガキ地区をうろうろしている間に、市庁舎前に出てしまった。さきに紹介したスケボー広場とは反対側にあたる。スラム感の漂う地区の隣にこれが出現すると雰囲気の落差に驚く。

ここから先は、市庁舎の面するヴァンネス・アベニューを北上してレンタルサイクル屋を目指していこう。 時計をみればもう午後3時……昨日は日没後にチャイナタウンに放り出されてしまったので、その前に帰還できるよう早めにチャリを返却せねば。

治安の怪しい地区をすぎ、海岸が近づいてくると小奇麗な住宅が増えてきた。区画ごとに住民のステータスというか生活水準がかなりハッキリと違っているのがわかる。

出窓の多い西海岸風の家がズラーリ。みな1階は車庫になっていて、防犯のためかガラス窓はなく、出入口は金属シャッターまたは鉄格子風の扉になっている。異国情緒のある風景ではあるけれど、治安状況は住宅の構造にも反映しているようだ。

青空にパステルカラーの洋風住宅群。まあとりあえず、カリフォルニアっぽい風景は見られたのでヨシとしたい。

見れば遠方にベイブリッジが見えた。この急坂を降りればレンタルサイクル屋だ。同じ風景を何度も載せるのもアレなのでこの先は省略するけれども、まあまあ良い風景の中を走れたと思う。
レンタル屋では 「今日は早かったねぇ」 などと言われてしまった。料金は時間制なので昨日よりは安く済んでいる。日払いでないのは良心的で、こういうお店は長続きしてほしい。
■ 夕刻の風景

チャリを返却してケーブルカーで宿に戻ったのは午後4時半過ぎだった。写真では明るく見えているがもう日は傾いている。ここで筆者は一度くらいジャンクフード以外のメシを食ってみようと思い立ち、ホテルの隣にあるステーキ屋に入ってみた。

……で、こんな肉を食ってみたのだが、これがなんと$80。チップ込みで$100を支払ったけれども日本円で1万5300円也は 「ちょこっと夕飯でも」 というのには財布に痛い。アメリカの物価高って、本当にエゲツないな(笑)

食事が終わって店を出ると、トワイライトの美しい時間帯になっていた。今頃になって気付いたけれど、アメリカの都市風景は日本のように白色LEDで溢れてはおらず、電球色の照明が主なので風情がある。

午後6時を過ぎるとイルミネーションが美しく点灯しはじめた。しかしそろそろ徒歩で出歩くのは危険な時間帯だ。

すでにBARTのパウエル駅からは人影が消えている。 ……もうすこし夕景を眺めていたい気分はあるが、現地の流儀に従ってホテルに引き返そう。
ちなみにこの日の夜も、銃声とパトカーのサイレンは響いていた。しかし慣れてしまえばスズメがチュンチュン言っているのと大して変わらない。こんな所でも市民は普通に生活しているわけで、旅行者もまたその作法に倣えばよい。
<つづく>